僕の小林秀雄

mmpoloさんが、お友達の一人が小林秀雄で転んだと語っている。そして、いまだに小林への批判的言説を考え続けているとおっしゃる。一昨日のエントリーにコメントを頂戴した三上さんは、その中でご自身が小林秀雄派だったと懐かしそうに振り返っておられる。茂木健一郎さんは小林秀雄の講演テープに触発された小林秀雄賞受賞作『脳と仮想』でより広い読者を獲得するに至った。小林秀雄という名前一つでいったいどんなにたくさんの、多様な物語が語られるのだろう。


「当代一等の批評家は吉田秀和」という丸谷才一さんの見立ては一ファンとしてはとても嬉しい。けれど、吉田秀和で転ぶ人はおらずとも小林秀雄で転んだ人はいる(おそらく数多く)であろうことに思いをはせると、丸谷さんの言は少々ひいきの引き倒しではないかと心配になる。


そういう自分も、学生時代は小林秀雄は最高の権威だと崇め奉っていた一人なのだ。当時の自分は、吉田秀和は言うに及ばず、あらゆる文藝評論家は小林秀雄の前では軽い存在だと考えていた。どう思い起こしても、小林教の信者だったとしか言いようがない。


当時、小林の書いている内容のどれだけを理解していたのか。おそらく何にも分かっていなかったのではないのかと思う。今考えれば当たり前だ。そもそも小林が批評の対象としていた人・物・作品を大して知りはしないままに、あの文体に向かっていたのだから、分かろうにも分かるはずがないのだ。しかし、全面的な共感を表明したいという焦りにも似た気持ちは、常に携えていたような気がする。小林を理解したいがために読んだ西洋文学がどれだけあっただろう。今思えば不健康な権威主義的読書だったと思う。


小林秀雄の逝去をWikipediaで確かめたら1983年3月。僕は前の年に大学を出て、その後長く勤めることになる会社でアルバイトをしていた。新聞を見ながら、あぁ、小林秀雄がいなくなったと思ったとき、僕はある時代が終わる寂寞感とともに、不思議なことに大きなつっかえが取れたような気がしたのを覚えている。彼をうとましく感じていた知識人はどれほどほっとしただろう。


小林秀雄の人となりに触れたり、彼への想いを綴ったエッセイは数多く読んだ。吉田、河上、大岡、江藤、大江、石原、吉本、エトセトラ、エトセトラ。結局、僕が見ているのはそうした誰かの視線を通した小林でしかないような気がする。死ぬまでに小林秀雄に辿り着けるかははななだ疑問だと思っている。