引き継がれるもの

茂木健一郎さんの『クオリア日記』によると、茂木さんが吉本隆明さんとお話しになったそうな。様々な著作によって幅広い世代を鼓舞してきた吉本さんと、おそらくこれから吉本さんがこの国で担ってきた役割の幾ばくかを引き継ぐことになるだろう茂木さんがお会いになったと聞くと、吉本さんがお元気なうちにそうした出会いが実現したことを知ると、なんだかそれだけで嬉しくなる。夢の対談と言っても大袈裟ではない。どこかで活字になるのだろうか。そうであればよいのだけれど。

■身を傾けすぎると(『クオリア日記』2006年9月13日)


昨日のエントリーにも書き付けた、「今の若者も自分らも違うとは思わない」とアップルハウス銀座での菊池成孔さんとの対談で語っていた茂木さん。菊池さんが回答する間、目を泳がせるようにして何かを考えていた茂木さんの中では、おそらく「まだ名前がついていないこと」に思いをはせながら、如何にして“世代間の差”という質問を粉砕するかを考えていたんだろうなと勝手に想像してみる。『クオリア日記』でお書かきになっている「名付け得ぬものがもやもやと自己を駆り立てる「青年期」が永遠に続くということ」を引き受け、身を傾けすぎずに走り続ける姿をぜひ見せてほしい。


吉本さんと同様、茂木さんとの対談が実現すればよいのにと夢想するのが、音楽評論家の吉田秀和さん。最近、時々しか書かなくなってしまったし、体調も芳しくないという風評を聞くと容易ではないのかもしれないが、西洋音楽の話、小林秀雄さんの話など二人の対話から何が出てくるかと考えるとわくわくする。こちらの夢も実現しないかな。