アルビン・トフラーとすれ違った話

アルビン・トフラーの新刊『富の未来』が書店に平積みされているのを見て、突然、11年前にトフラーとすれ違った時のことを思い出した。アメリカ駐在中の1995年夏、ジョン・デンバーが有名にしたコロラド州アスペンでのことだ。

インターネットの商用化が始まり、Netscapeみたいな会社が世の中で輝き始めた1995年8月、共和党系のシンクタンクがアスペンで「アスペン・サミット」というハッカーたちを集めたフォーラムを開いた。数日後のニューヨークタイムズが「まるで憲法制定会議のような雰囲気だった」と書いていたその会議では、新しい時代の到来を告げる新技術を如何に使っていくかについて、その世界の有名人20人余が集まり、様々な話題を囲んで意見が交換された。日本のように中央官庁が強くない反面、米国ではシンクタンクが政策提言に大きな影響力を持っている。そんな団体の一つが主催した、当時、けっこう話題になったイベントを現場で見るチャンスに恵まれたのだった。

エスター・ダイソン、アルノー・ペンジアス、ジョージ・ギルダーといったIT業界の有名人たちが目の前で発言し、あるいはコーヒーブレイクでくつろぐのをこの目で見るのはそれだけで刺激的だった。『テレコズム』の著者で電気通信の世界ではその当時大物の地位を決定的にしていたギルダーとは昼食の同じ円卓につくことができ、彼の著作について質問をしたりすることもできた。

それら当時のIT界の賢人たちに加えて、ゲスト的な位置づけで呼ばれていたのがトフラーだった。参加者たちが口々にその業績を褒めそやすのを見て、かの国でのトフラーの地位の高さに感じ入ったものだ。

その日の午後、昼食の後の休み時間に参加者の喧噪を離れて僕は人気のないホテルの廊下を歩いていた。人っ子一人いなかった長い廊下の向こう側から背の高い紳士が静かに歩を進めてきた。アルビン・トフラーだった。アスペン有数の高級ホテルの、午後の避暑地の日差しが渋い色の絨毯に淡い陰を作る中を、ダークスーツに一分の隙もなく身を包んだ未来学者は、僕と目を合わせて、優しい笑顔を作りながら、静かな調子で「Hi!」と言った。僕も「Hi!」と返して彼の貴族のような立ち姿の残像の中を通り過ぎた。

たったそれだけの思い出。