皆様、よいお年を

今年はどんな年だったか。365日分、誰にとっても嬉しいこと、悲しいこと、色々なことがあったはずです。私自身にもいいこと、そうではないことが山のようにありましたが、一つだけ挙げると、生物としての劣化がますます進んだことを感じる年でした。ここ数か月の間に皺はますます深くなり、頭髪は悲しいほど抜け落ち、同じだけ食べると腹の周りがぶよぶよとだぶつき、すでにブログに書きましたが、決定的なところでは記憶力の減退が激しい。どうしようもない感じがします。頑張るとか、頑張らないとかいう意志の力とは無縁の運命の領域のなせる業です。
昨日は若い頃からお世話になっている先輩から、「整理していたら見つけたから」とディジタルに変換してくれた30代前半の写真がメールで送られてきました。無駄に髪の毛は多いし、皺はどこにもないし、目はいききとしているし、自分の息子を見るようで、タジタジとなりました。

若い頃は自分よりも前に進む人たちを羨ましく感じたりすますが、年を取ってくると先に進まない人を羨望するようになるようです。でも、こればかりは程度の差ではあります。エントロピーは確実に増大し、100年経てばいまは赤ちゃんでいる人すらほとんどこの世界に存在していません。そうした世界の有限性のなかでどう生きるか。等身大の自分を自分が認識できない事態も含めて、ということになるのでややこしいのですが、最後はなるようになるという達観の美学にうまく巻かれるか、抱え続ける無意味なこだわりを残せるだけどこかに残すことになるのか。

でも、残す場所としての自分があやふやであるのであれば、残す場所は他者、それも若い人たちのDNAということになるのでしょう。美崎薫さんのようにコンピュータにそれを求める人もいますけれど、それはそれで面白いとは言え、機械はすぐ壊れるし、などと私は思ってしまいます。

いつものように馬鹿を考えているうちに年も暮れようとしています。
今年はブログをコンサート訪問記以外ほとんど書かなかったのですが、来年はまた少し違ったブログにしたいという気もしています。引き続きお付き合いいただけると幸いです。

このブログにお越し頂いている皆様、ブログを通じてお付き合いいただいている皆様の心身の安寧をお祈り申し上げます。どうか、よい年をお迎えください。