ウィンドウショッピングの休日

カメラの修理が終わったので、東京は秋葉原方面にものを引き取りに行く。修理中の期間、しばらく借り物ですごしていたのである。

店長と、供給者と消費者同士の関係が透けて見える朗らかな会話をしながらものを受け取り、快晴の秋葉原の空の下に出ると、賑やかなお囃子の音とわっしょいの掛け声が通りの向こう側から聞こえてきた。この一帯の春祭りらしく、町の名前を誇らしげに染め抜いた印半纏の人たちが警視庁のお巡りさんに守られながら、それぞれの町内ごとに特徴のある御輿をかついで楽しげに流れている。僕が生まれた福岡には山笠という祭りがあって、フィナーレには、流れと呼ばれる町内の集まりごとに山車をかついで通りを走り、タイムを競う。それに比べると東京の祭りは品がいい。

御輿のまわりにはデジタル一眼レフを持ったアマチュアカメラマンがたくさん。僕もカメラを抱えてはいたが、人の写真には興味がないので、まるっきり撮る気にならない。面白いものだと思う。

秋葉原石丸電気お茶の水駅前のディスクユニオンでCDを眺めて帰宅の途につく。CD屋にはけっこう足を向けているが、典型的なウィンドウショッピングで、希にしか買い物はしない。CDを買わないのは、生演奏と録音をめぐる僕ならではの深謀遠慮があるからではなく、単に万年金欠病だからである。以前は、「あっ、これ欲しい!」と思ったら、ぱっと衝動買い。そんな夢のような日々もあったが、今やそんな結構なご身分は夢のまた夢。というのは半分はほんとで半分は嘘かな。この前、中華街で辻さん(id:Ronron)や羊姫さん(id:sheeplove)とそんなお話もしたが、ブログに書いていることが真実である保証はどれぐらいあるんだろう。辻さんのように根がまじめな人は別だが、わたくしなんぞ、嘘ばっかだし。

電車の中で「どうしよう」とちらと頭をよぎったのが、映画の『グラン・トリノ』で、この映画はhayakarさん(id:hayakar)と勢川さん(id:segawabiki)がそれぞれのブログで絶賛していたので、とても気になっているのである。僕は年に一本ぐらいしか映画を見ない人間だが、今年の一本にしてもいいと思いつつ、途中下車をしようか、どうしようかと考えているうちに映画館のある駅を電車は通り過ぎてしまう。

帰宅してパソコンをたちあげる。札幌でも三上さんが『グラン・トリノ』を迷っているのを知る。


■まだ観ぬグラン・トリノへの複雑な想い(『三上のブログ』2009年5月10日)


たぶん、三上さんも金欠病だな、などと北の哲学教授を相手に失礼なことを考える。あたっているかもしれず、まるで的外れかもしれないのは、村上龍の『無趣味のすすめ』のときと同じである。

ところで、その『無趣味のすすめ』。買おうかどうしようかと、本屋さんで手に取った。ぱらぱらとめくるつもりでページを開けたら、すぐさま目に飛び込んできたのが例の文章だった。驚いたのは、エッセイ集『無趣味のすすめ』の冒頭に掲げられたこの「無趣味のすすめ」という文章は、例の新聞広告に掲載されていたものでほぼ半分。あるいはそれ以上。僕が読ませていただいたのは後半の全てで、全体はそれほど短い文章だったのだ。立ち読みさせていただいたところ、数日前のエントリーを書いた際の“前提”はまったく間違っていなかった。このエッセイの前半、最初の部分に村上龍は、趣味は老人のものだとはっきりと書いている。村上龍の思想にのっとれば、こんな風にブログ遊びをやっているわたくしは“老人”なのである。まあ、そうかな、当たっているかなとも思う。思うどころではない。今日のエントリーを読めば、どう考えたってひどく当たっているではないか。という場所から、数日前のエントリーは始まっている。

けっきょく、『無趣味のすすめ』は買わなかった。だって、一ページ400字程度のすかすかの本で1200円。マーラーの第4交響曲の演奏としてはとても好きだったテンシュテットの演奏(歌姫はルチア・ポップ)をパスし、評判の良さで前から気になっているブラームスの6重奏曲のアカデミー・オブ・セントマーチン・イン・ザ・フィールズの演奏をそっと棚に戻し、『グラン・トリノ』をやめにしたあとで、そんなすかすか本を買えるかよ、と偽老人はつぶやくのであったことよ。