痛快

金城さんと中西さんが同じことを言っている。異なるトピックを扱いながら、どちらも先例にとらわれるな、とらわれてはいけないと語りかけている。


■間違っても親や教師の言うことを鵜呑みにしてはいけない時代(『design,web,computer & others』2008年12月8日)
■語彙力以前の問題(その2)(『simpleA@hatena』2008年12月9日)


中西さんのエントリーは、僕がこのブログで紹介した『失われた場を探して』に対する評である。この本は、若者の就業にまつわる厳しさが社会の構造変化に由来していることを実証的に明らかにした好著で、これまで日本人がみんなでやってきた生活の方法がうまくいかなくなっているという事実とそのわけを、著者の米国人社会学者が説得力を持って語っている。それにしてもその感想を書いていただいたエントリーのタイトルが「間違っても親や教師の言うことを鵜呑みにしてはいけない」となるとは思いもよらなかったので、びっくりした。もちろん、感動のびっくりである。「間違っても」だよ。「親や教師の言うことを鵜呑みにするな」って、自分自身を否定することなのだ。中西さんは立派な大学の先生である。こういう先生の下で勉強している諸君は幸せである。ほんとにそう思うよ。

で、金城さんの一文。こちらは英語習得とビジネス行動を引っかけたsimpleAらしい論理と意志のエントリー。

ってなわけで、結局何が言いたいのかって言うと、「大切なのは、時には、自分の行動パターンを捨てて、他人の行動パターンってのをありのままで受入れ、「何度だって、どこからだって、やり直す」*2ことじゃーないかな、と思う(こともある)。でも、それって、難しーことだし、忘れがちなので、定期的に思い出す必要があーる。

これも創造のための自己否定。

てめえの主張を後生大事にかかえ他人を否定してかかることに一生懸命な奴、あるいは仕入れた知識を知ったかぶりに振り回すような奴が少なくない世の中で、こういう言葉を吐く大人がいるのを知るのは痛快だよ。そう思わないかい、みんな。