働くことのエリート

先日書いたはてなをめぐるおしゃべりに関して、説明不足だなと思われる表現があったので、ちょっとだけ書き足しておきたい。

実はむしろ僕が言いたいのは、梅田さんのアジテーションで最終的に救われるのは間違いなく一部のエリートの子たちなんですよ。これって庄司薫の薫くんシリーズの世界だと思うんです。
(何故「がんばれ、はてな」か(2007年4月8日))


“エリート”と書いたが、ここで言いたいのは、東大出の秀才であるとか、企業の幹部候補生などという意味ではない。そうではなくて、要は「梅田さんのアジテーションに反応できる知と意欲の運動神経を持っている人たち」という意味合いで使っている。たとえば学者の世界や法曹界で成功しようと思ったら地頭(じあたま)の良さは成功のキーファクターだが、ことビジネスの世界では学歴は一つの指標でしかない。地頭がよくて知的運動神経を持っている人はすごいことができるかもしれないが、地頭はそこそこだって牛若丸のような反射神経と状況を読む力、決断力があれば、それこそが威力を発揮する。


僕自身はそういうものを持っていない平々凡々な人間なので、そんな人を見ると「すごいなあ」と思うばかりだ。ちなみに知り合いやかつての上司に何人もの東大出がいるが、職業生活でそれが生かされているかというと、そうとも言えない人がたくさんいる。この記述はさしさわりあるな。一緒に笑ってくれる人もいるだろうが。


今日書いたことは、社会人を長くやっている人は皆知っている話。地頭のよさは学校の成績が指標になるので自他共に理解しやすいが、世間の荒波を乗りこなすグッド・サーファーかどうかの方が見えにくい面がある。やってみないと自分にだって分からない部分がある。だからこそ、チャレンジには常に意味があると言ってよいだろう。


と今日は、とくにこのブログを読んでくださる若い人、というか学生さんを意識して書いた。