無批判な集合知礼賛は“はてな”だ

雨の土曜日。
おちゃめクールさんの「集合知の悲劇」を読んで感心した。


■「集合知の悲劇」(『おちゃめクールの周回遅れブログ』2006年12月31日)


はてな」でブログを書いていると、僕などは“集合知”という言葉を「はてなブックマーク」に結びつけて考える癖がついてしまっている。おそらくおちゃめクールさんの「集合知の悲劇」も似たようなケースに対する連想から出発しているのではないかと思う。


僕の想像が間違っていないとして、ここで行われている“定義”という名の秀逸な批評には大賛成である。「はてなブックマーク」は楽しく、素晴らしい試みではあるけれども、文字通りはてなマーク付きで使うしかない。僕の興味に即して言えば、もっと文学系、アート系のエントリーが引っかかってくれればいいのだが、よほど注意深く「ホットエントリー」一覧を探っていかないと、僕の好みに該当するものは見つからない。以前からのユーザーには「はてブがどんどん馬鹿になっていく」という実感をお持ちの方がけっこういるようだが、ブックマークがたくさん寄せられているブログを拝見すると、それもそうだろうと思ってしまう。


このブログを書き始めてしばらく経つうちに、ブログを書き込んでいる人達というのは日本国民の統計的な縮図ではなくて、かなり分布に偏りがあるということに思い至った。分かってみれば当たり前だが、やってみないと分からない事実の一つである。文学などに関しては、その筋の人達は「ブログなんて下らなくてやってられないよ」ということなのだろうか、真面目に参加していないのは明らかである。それが証拠にある種の人名で検索した結果『横浜逍遙亭』を覗きに来る方が多いので、はてと思いグーグルで検索すると、このブログの書き込みが上位に出てきたりする。そんなもので良いわけがないのは書いた自分が一番よく知っているので、はっきり言って恥ずかしかったりする。ほとんど書き殴りなのに、一筆書きの感想文なのに、と思ってしまう。だが、グーグルの検索結果をよく見てみると、その人名でひっかかるまともな情報が実際ほとんどないのだ。


広い意味ではブログが実現する「集合知」には諸手を挙げてイエス。だが、「はてなブックマーク」の人気ランキング表示が集合知の代名詞であるかのような解釈にははてなマークである。私の気分はこんな感じ。

■ITリテラシー(『hayakarの日記』2006年10月5日)


そこで「集合知」は信じるが、「はてなブックマーク」の全面的な信頼には“はてな”な現在の僕は、はてなRSSキーワードウォッチ機能をもっとも頼りとしている。ある種のテーマで書き込みをしている人の中からネットワークを広げていくには、地道にある程度の量を読むしかないようだ。気長に、ゆっくりと。



1月5日。東京のウォーターフロント。昨日はこんなに晴れていました。