アジアの田舎となって気楽に暮らす


このタイトルは週刊東洋経済2006年12月30日+1月6日合併号の「ニッポンはどこへ行く?」と題したインタビュー記事に掲載されている堺屋太一さんの言葉です。同誌から引用します。

戦後の日本には国家コンセプトが二つありました。第一は「日米同盟を基軸に経済大国、軍事小国を目指す」という外交コンセプト。第二は「官僚主導の下に規格大量生産型の近代工業社会をつくる」という経済コンセプトです。これで90年まではうまくいきましたが、バブルと冷戦が終わると、コンセプトは二つともダメになった。
(中略)
そこでジグソーパズルの全体像、つまり新しい国家コンセプトをつくる議論を、07年にはじめなくてはいけない。
(中略)
新しいコンセプトには二つの選択肢があります。まず個性豊かな人が頑張って、世界の第一線で踏みとどまる決意を固める。そのためには、あらゆる施策を個性重視に切り替えなくてはならない。教育改革も得意な科目を増やして、不得手な科目を減らすぐらいの大胆さが必要です。もう一つは、今の状態のまま世界経済から退場し、アジアの片田舎となって気楽に暮らすという選択肢です。もう経済や科学技術の分野で競争しなくてもよい。才能がある人はアメリカに行けばよいというものです。
前者は「強い国、豊かな国」を目指す。希望と栄光はあるが、国民はしんどい。後者は気楽だけど夢と未来は淡い。どちらの日本を選ぶか、今こそ議論すべきです
週刊東洋経済12月30日+1月6日合併号 p44)

会社の中で「君ならどっちで行く?」と聞けば、成長を目指す企業の一員である以上「後者です」とはなかなか言えないでしょう。それに皆、自分の職分を全うすべく、それなりに骨身を削る毎日を送っています。しかし、20代、30代の若者を見ていて、何というか、ぎらぎらした上昇志向みたいなものを風圧のように感じるかといえば、そうではない。以前に比べて、そこそこでいいから楽しく生きたいという雰囲気を発散させている人たちの割合は増えている気がします。

また、自分の子供たちやその友達を見ていてもそうで、親から尻を叩かれて受験・受験という風景は相変わらず変わっていませんが、自分の体の中から具体的な成功のイメージを持ちながら、高みを目指して登っていく気概を発散させている子供達がどれだけいるでしょうか。

堺屋太一さんが主張するような国家戦略がないままにこれからの日本が進めば、彼が提示する二つの異なる選択肢の後者「アジアの田舎となって気楽に暮らす」が言わずもがなのスタンダードになっていく。その過程に我々はいるような気がします。やる気のある人はアメリカに行く。私の周囲を見ても、すでに、もう十分にそうした状況に至っているのだと思います。

ですが、国民の合意を求めた結果として低成長社会の居心地の良さを目指すのではなく、なし崩し的にばらばらな個人が増えていく状況では、従来の集団主義、組織依存の規範はそんなに簡単には崩れないでしょうから、アジアの田舎における自分のステータス維持をめぐって、本来意味のないはずの意地の張り合いや陰湿で狡猾な日常生活のゲームは廃れずに続いていくでしょう。

国家戦略なき中、自分で自分の居場所を作らなければならない時代、インターネットを介した新しい関係の構築は、個人の日常と社会を徐々によい方向に変えていくものすごく重要な要素だと思います。リアルとネットのアイデンティティの一致によるネット縁のつながりが、これからますます重視されていくはずです。