再度いじめについて

久しぶりに会った顔見知りのフリー編集者に最近ブログを書いていますという話をしたら、非常に洗練された遠まわしな表現でネガティブなコメントをされた。そのときはそれが非難や批判の類には聞こえなかったのだが、あとで考えてみると、どうやら彼の言わんとしていたのは「何も好き好んで、そんなごろつきの集団みたいな素人連中がやる遊びをしなくても、ちゃんとしたところでちゃんとしたものを書けばいいじゃない」ということらしいのだ。詳しく尋ねることもせずに終わったが、彼はブログにとても否定的な印象を抱いているらしい。


似たようなニュアンスの話をつい先日も聞いたばかりで、ある方のお知り合いが「オーマイニュース」の市民記者に応募し記事を掲載したら、コメントで匿名の多数から袋叩きにあって、もうこりごりだと言っているとのこと。あの媒体はそもそも編集部があるべきレベルに達しているとは感じられず、僕もまったく支持できないが、それとこれとは別の話だ。


また、昨日紹介させていただいた明治大学内藤朝雄さんのブログにもコメント欄を介した大学教師間の醜くも幼稚な非難合戦が紹介されており、読んでいて力が抜けた。
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20060901


と思いきやmai_aokiさんが本日紹介している話題も似たような話がある。やれやれ。
http://d.hatena.ne.jp/mai_aoki/20061204/1165183553#tb


そもそも楽しみで書いているブログ、何がしかの使命を感じているのでもない限りいやな思いをしてまで続けることもなし、とっとと止めたければ止めるまで。幸いこのブログは今のところそうした悪意にさらされることなく来ているが、いつ同じような目にあうかわかったものではない。でも、これらの例を眺めると、まずはコメント機能をオフにし雑音をシャットダウンすることで十分対処ができるように思うのだが、上記の例ではそのあたりあまりに気転が利かないと感じられるのはなぜ?


そこでいじめの話に戻るのだが、ブログのコメント欄のように悪意の温床になるシステムは必ず存在する。内藤さんがおっしゃっている固定的なクラス、部活動はそうした悪意培養システムだと僕も思う。それらの仕組みは有害な関係を固定させるし、多様な機会にめぐり合うチャンスを減少させる。アメリカでは日本風の「あなたは絶対に抜けられません」風の部活動はないので、夏はバスケット、冬はアメフトと異なるスポーツで一流のプレイヤーになる人がけっこういるが、あれは合理的で素敵だ。正月まで野球をやらせて大きな顔をしている高校野球部の監督を持ち上げるマスコミは、一度本気で反省したほうがよい。そういうのを読んだり見たりして真似する中学校の教師みたいのがたくさんいる。付ける薬がない。