Happy Halloween!

昨日のエントリーにコメントを残してくれたBeatLogさんは、ある日本の伝統産業に対してマーケティング関係のサービスを提供する会社の経営者。昨日お会いした際に、話は勢い、「和」や伝統、文化と実業、四季など日本が本来持っているよきもの、よきことをめぐって行き来した。いや、行き来したなどというのは口はばったいのであって、実際には、その方面で仕事上の経験を重ねてきたBeatLogさんのお考えを拝聴したというのが実際なのだけれど。とても面白く勉強になった。

BeatLogさんの話を聞きながら、そのときにはあまりに軽薄な話なので話題はしなかったけれど、思わずひと月ほど前にタリーズ・コーヒーでコーヒーを飲んだときのことを思い出した。体験された方もいらっしゃるはず。タリーズで「今日のコーヒー、一番小さいサイズでください」と頼んだら、店員の女性が「ただいま、ハロウィーン・キャンペーンを実施中で、チョコレートをプレゼントさせていただいています(にこにこ)。そこでお願いなんですが、ここで「trick or treat!」と言っていただけますか(にこにこ)。」ときた。苦笑するしかなかったが、チョコレート欲しかったので「trick or treat!」と言ってやった。でも、カウンター近くの席で見ていたら、僕の後に注文をしていた背広姿のおじさんは「チョコレートを差し上げますので、「trick or treat!」と言っていただけますか」と尋ねられて、やっぱり苦笑いしながら「いやあ、いいよ」と断っていた。誰が考えたのかねえ、あのキャンペーン。

ご存じのない方に説明させていただくと、「trick or treat!」は10月31日のハロウィーンの夜に仮装に身を包んだ子供達が町内を練り歩いて家々を訪問し、お菓子をもらうときの台詞。かわいいちびっ子が玄関に表れて「いたずらがいいか、取引に応じるか?」と家人に訴えかけ、もちろんそこでおやつの入った袋をせしめて次の家を襲撃する仕儀と相成る。ハロウィーンを心から楽しむ子供達たちの姿は本当にかわいらしい。そんな本当にかわいらしいちびっこのための台詞なんだから、日本のオヤジに「trick or treat!」もないもんだと思う。「いやあ、いいよ」と苦笑いしたおじさんはとても正しい。

アメリカでは、ハロウィーンからサンクスギビング、クリスマスと子供達にとって楽しい、楽しいホリディシーズンがめぐってくる。大人達だって今からのシーズンに心が躍っていることは同様で、とくにこの季節になると季節感という日本語がうきうきのアメリカ人たちの様子と共に思い浮かんでくる。日本で季節感というと、とくに最近は、紅葉だのの自然を思い浮かべることが多いような気がするがどうだろう。だが、季節感は、もちろん四季の自然の移ろいと不可分であるにせよ、人為的な営みが醸し出すものであるはずだ。豆まきも七夕もどこかに行ってしまいそうな日本には季節感が消えつつあるのだなあと実感したのは、アメリカで過ごした4年間だった。


そんな僕にとっては、タリーズで「trick or treat!」と口にしたとたん、とても懐かしい感情が沸き上がって止めどなかった。夏に渡米し、言葉が出来ず、友達が出来ず、日本に帰りたいと泣き叫び、チック症の症状を起こしていた当時小学校2年生の長男が、初めてかの地で「アメリカは楽しい」とぽつりとひと言、口走ったのが10月末のハロウィーンの夜、戦利品の山のようなお菓子を前にした時だった。けっきょく、その後も、とくに折り返しの2年間が過ぎることまでは、家族連れの駐在生活には楽しいことと同じぐらいかそれ以上の量の苦しいことが続いたのだが、ハロウィーンやクリスマスがなければ、外国での生活への適応はもっともっと時間がかかったかもしれないと心底思う。伝統行事には、多様な個人のあり方・生き方を邪魔することなく、花が当たり前のように咲いたり、木々が色づいたりするのと同じように、人々が社会の中で共生するのを手助けする優れた機能が備わっている。というようなことを想起させ、僕以外のおじさんを苦笑させたタリーズのキャンペーンは大成功だった。

ひと月遅れのハロウィーンの話題でした。タリーズの一口チョコはなかなかおいしかった。