過去から来た一眼レフ

美崎薫さんのお宅を訪問した帰り道。三上さんと一緒に山手線の駅の階段を上った瞬間の出来事だった。三上さんと四方山話をしながらも、僕の頭の中にはここ一、二週間『三上のブログ』を中心に繰り広げられている三上さんと美崎さんの時間論議、記憶、想起といった言葉がとどまっていた。おそらく三上さんもそうだったはず。

都内を中山さんに導かれながら、電車を次々と乗り換えるのを楽しんでいた私は、色んなことを発見していたのだが、私が指摘すると、中山さんもちょっと驚いてくれた一人の若い女性がいた。私たちの前を、4、5歳の男の子の手を引き、颯爽と歩くある若い女性、お母さんだろう、だった。背中のど真ん中に、古いNikonのF3(?)カメラがぶら下がっていたのだ。そのカメラは亡き父の遺品の一台と同じだった。しかも、私は昨日からカメラ、写真の世界に浸っている。何かの縁を感じた。
(ある婦人に渡ったポストカード:HASHI[橋村奉臣]展を訪れて3 『三上のブログ』2006年10月30日)


駅の階段を雑踏に押されるように上ると、改札口に向かう人の流れの途上にその女性はいた。大柄ななりの、子供の手を引くその背中の上で、たすきがけをしたニコンの古い型の一眼レフが三上さんと僕の方を向いていた。黒しか着ないというHASHIさんと同様、女性は黒っぽい上着を身にまとっている。その暗いトーンの上でカメラは銀色の鈍い輝きを放っていた。


三上さんが「中山さん、あのカメラ」と指を指した時、いや、たしかに今や珍しい昔ながらの光学式一眼レフではあったが、三上さんがそれを指摘した理由はブログを読むまではもちろん分からなかった。そんな理由があったんだと驚きつつ合点がいったが、しかし、何故あんな場所に三上さんのお父さんのお持ちだったものと同じ一眼レフがなければいけなかったのか。


僕は僕で実に非現実な気分がよぎったのを覚えている。過去のどこからかニコンがやってきたように感じたのだ。三上さんは「古いNikonのF3(?)」とお書きになっているが、僕には妙に新しいものに見えた。今どき、それも女性があんなカメラを持っているだろうか。美崎さんと会ったばかりの僕は、あらゆる過去が埋もれずに現在にとどまるという美崎さんの思念と実践の力にとっつかまってしまったような気がした。


というわけで、この話はそれとなく『記憶する住宅』につながっていく。美崎さんに写真を公開する許可ももらったので、明日になるかどうかは分からないけれど、忘れないうちに美崎邸訪問記を書きます。深遠な部分は三上さんに任せて。