ほめ上手


アメリカで生活してみて素晴らしいなあと思うのは、人を褒める文化の存在です。とくに教育の現場で如実にそれを感じます。good! great! wonderful! fabulous! perfect! splendid! gorgeous!
そんな感嘆符付きの形容詞が子供たちを元気づける。英語にはなんていっぱい「わあー、すごーい!」「よくできたねー!」って言ってあげる言葉があるのでしょう。いいなあと思います。ニューヨークに赴任直後、当時3歳だった下の子供が、幼稚園に入る前に病院である検査を受けたのですが、おしっこをコップに取っただけで看護婦さんに「great!」と褒められました。その瞬間から4年余、子供達はしっかり怒られながらも、それを越えてあまりある「よくできたねー」という声を受け続けながら育ちました。子供だけではありません。大人の社会でも、それが競争の現場であれば話は全然違いますけど、他人をいたわり、勇気づける言葉の使い方をアメリカの人たちは身につけています。


子供たちはアメリカから日本に帰ってきて、自己主張をすること、褒められることが極端に少ない(場合によってはそれらが罪悪視されるかのような)環境にとまどいながら再度順応していくようでした。日本では、子供の頃から集団の中で一歩引くことを教え込まされているように如実に感じられます。 なお、言い添えますと、子供たちをたくさん褒めてくれたアメリカの先生方は、一方で非常に厳格な、こわい教師でもありました。日本の学校の先生には、アメリカの先生方が醸し出すプロフェッショナルな威厳があまり感じられないように思われます。


久しぶりに但し書きのかけらもまとわない、豪快な褒め言葉の使い方に接したのが『三上のブログ』でした。本エントリーのタイトルは、美崎薫さんが『三上のブログ』のこちらエントリー(「ブログの可能性:"pure"ということ」)のコメントの中で、三上さんのことを評しておっしゃっている一言ですが、まったくもってそのとおりとしかいいようがありません。精力的にブログを徘徊し、見つけたコメント、アイデア、想念、理念、情念に、そして何よりもそれらの文章の背後に存在する真摯さに感応した三上さんは、その瞬間の情動を壮麗な褒め言葉に変換し、批評の対象となった書き手をたじろがせつつ勇気づけます。


さすが教育者。洋の東西を問わず、本来教育者はそうであるべきではないでしょうか。全ての先生に期待はしませんが、やはり子供たちが接している先生の何人かに一人はそうであって欲しい。三上先生に教わっている学生さんは本当に幸せだと思います。