HASHIさんにお会いする

9月前半に休みを取って実家に帰ったときに、久しぶりに青木繁坂本繁二郎小出楢重など洋画の初期に活躍した画家たちの絵を見る機会があった。青木繁の天才は今我々が見ても明らかだが、その短命とともに我が国における西洋絵画の先駆者の立場を担うことを宿命づけられた青木の不幸には複雑な思いをいたさざるを得ない。英語でいうFine Artの分野を長い時間の流れで見たとき、洗練の極にあった江戸の芸術の先に出現した、いわゆる“洋画”というジャンルは、ある意味で日本のFine Artの中でもっとも低調な時期だったと言って差し支えあるまい。青木が、今の日本の環境で登場したならば、いったいどんな絵を描いたのだろう。青木の自画像に向かい合いながら、僕はそんな突拍子もないことを考えていた。しかし今、100年の準備期間を経て、日本のFine Artは世界的にも突出した人材を生むようになってきた。この分野について考えれば、今、僕らはそういう幸運な時代に生きている。


このブログで2度ほどご紹介した橋村奉臣さんもそんな人材のお一人であることは間違いない。2週間前に東京都写真美術館で始まった「HASHI[橋村奉臣]展『一瞬の永遠』&『未来の原風景』」をほとんど偶然に訪れ、強烈な印象を受けた僕は、橋村さんと作家の立松和平さんのトークショーがあると知ってもう一度東京都写真美術館に足を運ぶ気になった。ちなみに、僕と『三上のブログ』の三上さんが橋村作品に言及したエントリーは以下のとおりです。

■写真展をはしごする(9月17日)
■写真の批評性(『三上のブログ』2006年9月17日)
■橋村奉臣作品の機知(9月18日)
■写真の物語性(『三上のブログ』2006年9月19日)


モーツァルトのおふざけぶりは(かなりの誇張があるとしても)映画『アマデウス』で知るところだが、例えば、20世紀を代表する指揮者の一人であるブルーノ・ワルターなども、クラシック音楽の演奏論の著作を持つ友人のYさんによれば、温厚そうな写真とは裏腹に実に嫌なやつだったそうな。ことほど左様に作品とその作者の人間性とが単純な写像をなしていないのは明らかである。作者を知ったからといって作品が分かるようになるかどうかは疑問の余地もある。だが、意識の底に残る橋村さんの作品が目の前に浮かぶたびに、あのオリジナリティの固まりである作品を生みだした人がどんな顔をしていて、どんなことをしゃべる人なのか、人目見たくなった。印象に残らなければ、それはそれでよいではないか。


橋村さんと立松さんの1時間半のトークショーは面白かった。黒のTシャツとパンツ姿で舞台に現れた橋村さんの第一印象は、太い腕とがっちりとした骨格が、そうだなあ、芸術家というよりは骨太でおおらかな職人の親方という感じ。一線で戦ってきた人の強さがオーラとなって発散されている。橋村さんの言葉を引き出す立松さんのしゃべりが実にお上手で、1時間半があっという間に過ぎた。橋村さんがアメリカに渡り、ニューヨークに辿り着くまでの苦労話に1時間を費やしてしまい(面白くて、それでもまだ聞き足りない感じだったが)、写真に対するお考えなどをもっと聞きたかった僕としては、もう少し時間がほしかったなあという思いを抱きながら、閉会の拍手に加わった。


その直後に行われた橋村さんのサイン会の列に並んだのは、そんな物足りなさの気分が少し残っていたことも大いに影響していた。有名人のサインにこだわりがある方ではない。だからサイン会に加わることなどほとんどない。今までサインをしてもらった人は全員覚えている。サイン会に参加したのは中学・高校時代を通じて個人的にヒーローだった植村直己さんだけ。あと偶然にサインをいただいのは、欧州旅行中に出会ったあこがれのバリトンヘルマン・プライ、たまたまご挨拶することができた小澤征爾さん。ところが今回ばかりは何となく橋村さんにはひと言お声を交わし、素晴らしい写真を見せていただいたお礼を言いたいと思った。


長い列に加わり、番が回ってきて、僕は開口一番「ブログに橋村さんの展覧会の印象を書かせていただきました。たくさんの人が検索して読みに来てくれています」と申し上げた。「あぁ、そう。それはよかったですね。何ていうブログ?」と橋村さん。ブログの名前?と怪訝に思いながら「『横浜逍遙亭』って言います」と僕。その瞬間、橋村さんの表情が変わったのが分かった。間髪を入れずに「『横浜逍遙亭』? あなた、中山隆さん?」とおっしゃるではないか。橋村さんの表情は、破顔一笑というほかはない風に変化して、椅子から立ち上がり、「いやー、僕、あなたに何とか会いたいと思っていたんだよー。あなたと三上さんにぜひお会いしたいと思っていたんだよー」、大きな手のひらで握手をしてくれた。橋村さんが隣の関係者の方に「この方、ニューヨークにも4年住んでいた中山隆さん、僕のことブログで書いてくれた人」とまるでよく知っている知り合いを紹介するかのように語るのを聞きながら、呆気にとられて驚くほかなかった。ブログの威力と有り難みに感じ入りながら。


橋村さん、いやHASHIさんは、時間があればサイン会が終わった後、5分か10分でもいいから少し話がしたいがどうだとおっしゃる。どうだもない。心から喜んで応じ、サイン会会場のソファに座って待たせていただいた。それもよかったと思う。というのは、トークショーでは窺えなかったHASHIさんの人となりがサインに応じるHASHIさんの様子を脇で見ていて分かったから。壇上のHASHIさんには、強さのオーラを感じたが、丁寧に一人一人の方と話をしながらサインをするHASHIさんには人に対する優しさが自然とにじみ出ていた。関係者のつながりがある方であろうと、そうでなかろうと、年若い人だろうと、何ら分け隔てなく接するHASHIさんに僕はアメリカの素晴らしさも感じていたのだが、これはHASHIさんご本人の根っことは関係ない話だ。


サイン会の後、美術館の狭い一室でHASHIさんとお会いした。その間も、HASHIさんにはサインを求める人が引きも切らずで、出たり入ったり。そんな多忙な中で、結局1時間以上、トークショーでは訊けなかった様々な話をお聞きすることができた。HASHIさんは、「今日は、あなたに会えて本当によかった」と言ってくれ、「三上さんにもお会いしたいなー」と何度も繰り返していた。HASHIさんの言葉の中で記憶に残るひと言を挙げると“pure”だ。ご自身の創作態度を語る中で語られたHASHIさんの“pure”はカタカナのピュアではない、破裂音を伴った英語の“pure”だ。HASHIさんの“pure”は日本語の中から浮かび上がって僕の心に焼き付いた。


そのときの印象を含めてHASHIさんに感じたことについては、またあらためて記したい。HASHIさんとは次の再会を約束しあい、夕暮れ迫る東京都写真美術館を後にした。

◇「HASHI[橋村奉臣]展『一瞬の永遠』&『未来の原風景』」は10月29日(日)まで東京都写真美術館で開催中です。
http://www.hashi-ten.com/