授業

秋が来て授業の様子が掲載され始めた『三上のブログ』は、ますます三上さんその人自身に追いつこうとし、現に追いつき始めており、すごいことになってきた。僕のこのブログは自分の生活を反映はしていても、日常そのもの、とくに仕事の話からは遠い話題を意識して選んでいる。ブログのある種の典型的スタイルだろう。ところが『三上のブログ』では三上さんの生きている様がすべてブログに投げ出されているようで、その決然とした姿勢が格好いい。普通はここまで徹底的にはやらないし、できない。

今日のエントリーではヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の冒頭を解説する黒板が写真で紹介されている。ブログの向こうにはこういう場所と時間があるのかと想像をめぐらし、ブログを通ってやはり生の現場に行ってみたいと思う。そう思わせる素敵な写真。衝動的にコメントを書いた。

■言語哲学入門20060929 (『三上の部ログ』2006年9月29日)

ブログにはあらためて写真に写っているヴィトゲンシュタインの言葉が日本語と英語、ドイツ語で紹介されている。「世界は成立していることがらの総体である」とはそういう原文だったのか。「成立していることがらの総体」って何だろうと思っていたら「alles, was der Fall ist」だったのか。素人読者が最初から躓く部分をこうして原文に照らして教えていただくと、それなりに理解できるような気がし始めるから不思議だ。よい授業にめぐり会う素晴らしさ。

ここで、友人で前の勤め先の同僚のKさんを引っ張り出す。彼は法律が専門の研究者だが、今年は勤めの合間に3つの大学の非常勤講師をしているそうで、そりゃあすごいと言ったら、「昨年度は5つの大学に行っていたんですよ」という。ほとんど絶句しそうになった。会社勤めをしながらだと週1回だって授業を持つのはたいへんななずなのだ。手を抜いたら学生の反応にちゃんと出るというお話。そういうものなのでしょうね。僕も若い頃一度だけ非常勤講師をやらせていただいたことがあるが、気分的にくたくたになった覚えがある。

授業、ドイツ語となると、Kさんと合うたびに明るい苦笑ともに思い出す話がある。僕がちょうど米国駐在中にKさんの欧州調査の手伝いに出かけたことがあって、ベルリンでのこと。知り合いのベルリン自由大学の先生であるドクター・ランゲは実に物腰が柔らかい先生で、このときもにこにこと空港まで出迎えてくれた。ホスピタリティの権化のようなドクターは、その日の夕方にも「ここはベルリンでも有数のバー」とおっしゃるところに連れて行ってくれ、そこで合流した得体の知れないお友達数人と訳の分からないままに飲んだその帰り際、「明後日に私のクラスの学生が集まるのでそこで少し話をしてもらえませんか」とおっしゃる。Kさんと僕は愛想よく請負い、その場を離れた。そして、明後日の夕刻。来るように言われたのはベルリン自由大学ではなく、ドクター・ランゲが個人的に経営に関わるIT関係の専門学校みたいなところで、僕ら2人は、3,4人の学生と握手をして雑談をすることを想定して気楽に出かけた。現地に着き、ランゲ先生の出迎えを受けて、案内された部屋に付いたときに冷や汗も出ない自分を発見することとは思いもよらず。

そこはコミュニケーションとIT技術論みたいな授業を行っている教室で、数十人の学生さんたちが整然と僕らの入場を待っていたのだ。いつもはにこにこと、物腰柔らかなランゲ先生は教室に入ったとたんにきりっとしたドイツのプロフェッサーに豹変した。そのことを思い出してKさんは「ドイツで大学の先生があんなに威厳があるものとは思いませんでした。びっくりしましたよ」とおっしゃるのだが、それは僕も同様。しんと静まりかえった教室の中でランゲ先生は背筋を伸ばし、怖い大学教師に変身した。ベルリンはドイツの中でもリベラルな土地柄で、学生さんもパンク風がいっぱいいたりしてすごい雰囲気なのだが、そんな若者たちが真剣なまなざしで聞き入るなか、「今日は日本からお客様が来た。Kさんと中山さんはこれこれがご専門の著名なリサーチャーで」などと格調の高いドイツ語で歯の浮くようなお世辞入りの説明を始めるではないか。僕ら二人は何の準備もないのだ。「やばい」と思った経験は何度かあるが、あのやばさは独特だった。今思い起こしても、夢の中に出てくるような非現実的なやばさである。

ランゲ先生から振られた僕は、「中山と申します。貴国の素晴らしいゲーテ協会で勉強したおかげで少しだけドイツ語をしゃべりますが、残念ながら私のWortschatz(語彙)はとてもSchatz(宝物)と呼べるレベルではないので、このあとは英語でしゃべらせていただきます」と片言のドイツ語で挨拶をした。ここで笑いを取ったところで役目を終わりましたとばかり、あとはほとんどKさん任せでその授業を乗り切った。ひどい奴である。Kさんには申し訳ないことをしたと今でも思っている(ほんとですよ、Kさん)。準備をしていない僕らはかなりの時間を質疑応答ですませた記憶があるのだが、当然、日本の状況を尋ねる質問がほとんどで、当時米国にいた僕よりもKさんの出番が多かったという理由もあったはずだ。苦しい言い訳だけれど。

壇上に立つのはもういい。仕事や生活のことを忘れて三上先生の授業を受けてみたい。