真夏の夜の第九

昨日のエントリーに対して、三上勝生さんから思いやり溢れるコメントを頂き、そのとたんに肩の力がすっと抜けた。運動選手が緊張しすぎて力を出せないで敗れていくのと一緒で、「他人様」と自分自身がレッテルを貼ったもう一人の自分が自分を見張り出すと、文章はあっという間に硬直を始める。わかっちゃいるけど、この罠を逃れるのはけっこう難しいのだ。

アナウンサー「バッター、力が入ってますねえ」
解説者「そうですねえ。もう少し肩の力を抜いた方がいいですね」

てなもんである。三上先生はさすがにいつも学生さんに向き合っている教育のプロ、という一般化で軽々しく話を分かりやすくするのは危険だけれど、勘所をとらえて人を導く技をお持ちでいらっしゃる。腕っこきの整体師にツボを押された感じと言えばいいかしら。おかげで、またこの先気楽なおしゃべりを続けていくことが出来そう。


さて、昨晩は、中学時代からの友人でホルンを吹くU君に招かれてサントリー・ホールに慶応大学OBのオーケストラ「ワグネル・ソサエティー・OBオーケストラ」を聴いたので、そのご報告におつきあいいただきたい。

U君が出演したのはプーランクの「牝鹿」でこの作曲家の管弦楽曲を聴くのは録音・ライブにかかわらず僕は初めての体験。フランス音楽を好んで聴くことがないリスナーにとってプーランクは珍しいだけの作曲家だと思うが、ジャズを聴き慣れた人であれば、彼のピアノ曲のメロディーラインと響きは仲間の音楽かもしれない。村上春樹が『意味がなければスイングはない』の中でこの作曲家への愛情を語っているのも、そのことと無縁ではないと思われる。オーケストラ曲「牝鹿」は軽妙洒脱。ひと言でいうとそういうことでしょうね。でも、ピアノ曲に比べると、ありがちなオーケストレーションに聞こえてしまい、この人の色はむしろ見えにくい。

「牝鹿」に続き、この夜のメインディッシュはベートーベンの第九。オーケストラの音は聴き比べると楽団によってこんなにも違うものかと思うほど個性がある。ある程度以上の奏者がそろっているプロだってそうだが、パーツによって弾ける人、それなりな人が複雑に混じり合っているアマオケの表現力と音色は千差万別である。初めて聴いたワグネル・ソサエティー・OBオーケストラは、技術的な水準が高くて安心して音楽に浸ることができた。限られた趣味の時間でここまで仕上げるのはたいしたものだ。音量の幅が広く、フォルテの向こうにさらなる山を作ることが出来るのは見事。さらにピアニッシモの表現の中にベートーベンのすごみが出れば文句なかったが、それはプロのオケに望む類の話だろう。

久しぶりに聴いた指揮者の矢崎彦太郎さんはすっかり頭が薄くなっていて年取ったんだなと思ったが、自分だって他人が見たら同じだろうな。彼の奇をてらわないインテンポの音楽作りは僕の好みにぴったりで、強弱のグラデーションを分かりやすく作っていくのも好感が持てる。金管の数をここぞというところで補強し、彼の持つ曲のイメージにそってきっちりと仕上げていく様が心地よい。


僕が第九を聞いて耳に残るのはファゴットの活躍ですね。第2楽章の主題、第3楽章の最初のリード、第4楽章の歓喜のメロディーの対旋律と聞かせどころ満載で、吹いている人たちは楽しいだろうなと思う。

一緒に聴いたのはU君の共通の友人で「港北区民交響楽団」の中心メンバーである中年トランペッター川合君。彼によると、「牝鹿」と「第九」は非常によい取り合わせだそうな。何故かというと、アマチュアオケは毎回のコンサートで団員の出番を作る必要があるが、様々な楽器が使われる「牝鹿」のような曲を入れると、皆が出演できるからだという。なるほど、現場の人にしか分からない真実ってあるものだなと感心した次第。