筋書きを作る力と真実を語る言葉

昨日、文章の最後に「亀田興毅」とひとこと書いたら、それを目印にけっこうな人数の方々にここに来ていただいた。こういうときに検索エンジンを通り道にした情報発信の新しさ、面白さを実感する。もっとも来た人は十人中十人が期待したような情報がなくてがっかりしただろう。そこで今日は少し悪のりして亀田君のことを書いてみようかと思う。


民放のドキュメンタリーで彼らを最初に扱った番組をたまたま観ていたので、あの熱血親子たちには少しだけ関心があったのだが、その後バラエティ番組で芸能人相手に楽しそうにおしゃべりをする三兄弟の幸せそうな笑顔を何度も見て、たぶん駄目だろうなと思った。案の上である。昨日の試合はまったく観る時間がなく、「微妙な判定でした」とコメントするニュースをちらと目にする。今まで何度もしらけさせられた世界戦の理不尽な判定を思い出せば、だいだいどんな試合だったかは想像はつく。あぁ、またかと思う。そして、社会っていうのは数十年かけても変わる部分よりも変わらない部分の方が多いのだと妙に達観したような気持ちになる。


ところが、電車の向かいでおじさんが読んでいる夕刊紙の見出しが明らかに亀田批判一色だし、一般紙も同様である。無理矢理ローカルヒーローを作っても嬉しくないというのが昨日の試合を見た日本人の最大公約数としての感想だとしたら、だてにワールドカップで負けたわけじゃないのであり、日本の民度は少しは上がったのだと思いたい。嬉しいじゃないか。


それにしても、と残念に思うのは、今回、筋書きを作り間違えた奴は、『明日のジョー』も『一瞬の夏』も『かつて白い海で戦った』も読んでいなかったのかしらという点だ。ボクシングがドラマになるのは負ける物語だ。少なくとも僕らの世代以降はそれを知っている。僕が興行主ないし演出家だったら、一途なボクシング親子がマスコミに見いだされ、チャンスをつかむ、しかし、芸能界でちやほやされた末に世界戦で惨敗し、そこからはい上がる感動の物語を組み立てる。最後の最後に彼が再び敗れてリングを去るとしても。だから、昨日は当たり前のように負けなければ、その筋書きは完成しなかった。実際には、利害関係者の興味は、当然のごとく目先の利益に集中し、長い目でドラマを作る術など最初からどこにもなかった。


もったいないと思う。潔く負けるのは難しくなかったのに。灰色のチャンピオンをあわてて作るお粗末さは、興業技術の未熟さ以外の何ものでもない。「実は、ここでいったんブランドイメージをとことん落として、そこから復活するのが筋書きよ、フフフフ」と不敵に笑う関係者がいたら、お見それしましたと頭を下げるしかないが、親父の分もチャンピオンベルトが準備されていたという話を聞いては、もはや力なく笑うしかない。


ボクサーの話では、ボブ・グリーンがモハメド・アリを描いた「世界一有名な男」(「チーズバーガーズ1」所収)の静謐な美しさが素敵。ジョー・フレイジャーのことを書いていたのは誰でしたっけ? 沢木耕太郎? ライターに書いてみたいと人に思わせるサムシングが本物のボクサーにはある。だから、いつの日か、誰かが亀田君のことを本気で書く文章を読む時を、僕は楽しみに待っている。

一瞬の夏

一瞬の夏

チーズバーガーズ〈1〉 (文春文庫)

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