梅田望夫さんにお会いする

ウェブ進化論』の梅田望夫さんにお会いした。勤め先のお客様向けイベントにお越しいただきご講演をいただいたのだ。僕はこのクローズドなイベントの主催者の片割れであったこともあり、ご講演の具体的な内容についてここで紹介するのはご勘弁いただくことにして、一言小さな感想を書き記しておきたい。


梅田さんのお話は、ITの世界でのグーグルに代表する“あちら側”の勃興と“あちら側”対“こちら側”の相克を分かりやすく説いてベストセラーとなったご著書『ウェブ進化論』をもう一度講演でなぞるようなものではまったくなかった。だから、「どんなことを書いているのか、この際、直接著者の話を聞いてみよう」ともくろんで出かけてきた聴衆がいたとしたら、その人はかなり面食らったはずだ。梅田さんのお話はそうではなくて、『ウェブ進化論』に対する我が国読者の反応を中心に日本(の産業)社会と文化の実相を炙り出すこと、そこに聴衆の注意を喚起し、日本の産業界の中心にいる方々にいくばくかなりとも影響力を行使することを意図した内容だった。僕は梅田さんの話を聞きながら、かつてどこかで読んだピアニストの内田光子さんのひと言を思い浮かべていた。


内田光子さんは日本を代表するピアニストだ。クラシック音楽の世界に関して言うと、我が国では小澤征爾さんを日本人を代表するスーパーエゴとして褒めそやすのが習わしとなっているが、おそらく現在の欧米の新聞や雑誌の評価を読む限り、ピアノの内田さん、それにバッハ演奏の鈴木雅明さんが日本人の演奏家として大向こうの賞賛の声を浴びる代表格であることは間違いない。


内田さんは外交官の令嬢としてウィーンで育ち、人並みはずれた音楽の素養を身につけ、長くロンドンに拠点を置いて活動をしている方だ。モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲のCD、ドビュッシーの練習曲のCDは、これらの曲の録音として最高のものの一つと絶賛されている。その内田さんが、『音楽の友』だったか、『レコード芸術』だったかで日本の音楽評論家のある質問の答えて、必ずしも正確ではないがこんな風に言ったのだ。
「日本? だって日本に自由なんてないでしょ」
僕は迂闊にも肝心の質問が何だったのか、どのような問いをすればこういう回答が出てくるのかをまったく記憶していないのだが、その強烈なひと言の木霊が脳髄にしっかりと刻まれることになった。


生まれたその瞬間からのコスモポリタンである内田光子さんには、おそらく「日本」という視点は存在していない。彼女にとって東京はお義理のように数年に一度リサイタルを開く、自由のない国でしかないのだ。そして、「自由のない国、日本」はこの国に住まいながら、様々な現実の前で閉塞感を感じている少なからぬ人々にとっても真実に響く言葉である。しかし、内田さんのように身も蓋もなく言い放たれては、我々はその場で凍り付いてしまうしかないではないか。


日本の産業社会でエスタブリッシュされた、しかし「You Tube」を知らないおじさんたちを相手に、何かに後押しされるように熱っぽくメッセージを繰り出す梅田さんの姿に僕は率直に感銘を受けた。会場にいた人々に梅田さんのメッセージがどれだけ伝わったのかは神のみぞ知る。ITの進化はドッグイヤーで進むが、一国の社会と文化の構造はもちろんそうはいかない。何世代かの世代交代の後に、僕ら平均的な日本人(というものがあるとして)が進化を遂げているのかどうかは、我々の一人ひとりがどのような物語を自らの中から紡ぎ出したいか、その志次第だろう。


そして、その進み行きと結果は最終的に神のみぞ知るとしても、梅田さんのような触媒はこの国には常に必要とされているのだ。