はじめにスピーカーありき

二十年前にウェストミンスターを聴いて以来、なんとなくそうかなと思いながら確信を持てずにいたことが6月のザ・キット屋東京試聴会に参加してみてようやく腑に落ちたので、そのことをメモしておこうと思う。

それは、オーディオの醍醐味というのは、つまるところスピーカーをその特性を最大限発揮させるように鳴らすことらしいということだ。それは同時に、どんなにすばらしいスピーカーでも出てくるその音に能力以上のリアリティは期待できないという意味でもある

東京の試聴会では、アルテックのスピーカーとタンノイのStirlingが使われていた。どちらも音色的に独自の色があり、これら二つの方向はかなり違う。とくにジャズを再生したアルテックなど僕からするとなぜわざわざあんな風に癖のある音で音楽を聴くのだろうと思ってしまうような独自のキャラクターが感じられる。僕はジャズは門外漢に近い人間だが、それでも生と非生の違いは分かる。奏法は違えどもピアノやベース、クラリネットの音色自体はクラシックでもジャズでも基本的には変わらないはずだ。それに、こんなことを言う必要があるかどうか分からないが、ニューヨークではジャズ好きのNに連れられてブルーノートやスイートベイジルなんかでケニー・バレルジョー・パス、ローランド・ハナといった人を聴きにもいった。

もっとも、そんな言い訳をしなくても、アルテックとタンノイの特徴のある音を生の楽器の音と聞き分けるのはごく普通の耳をもっていれば何ら難しい話ではない。これら二つのスピーカーはザ・キット屋の様々なメインアンプに繋ぎ変えられ、微妙な(オーディオ耳のよい人にはおそらく“大きな”)ニュアンスの違いを描き出していたが、好き嫌いはありこそすれ、そこで聴かれたのは紛れもなく2種類の“スピーカーの”音だった。

試聴会の会場は音響的に多くを期待できないホテルのバンケットルームだが、そんな理想からはほど遠い条件でも、プロのオーディオ屋が鳴らせばスピーカーは生の楽器の音をたてるのではないかと僕は想像してやってきた。でも、ちょっと違うらしいのだ。

ザ・キット屋店主の大橋さんのコメントや周囲の方たちの反応を見聞きしながら、はっきりそれと感知できない問いと答えを一緒に突きつけられたような中途半端な気分に陥っていた。試聴会の最中も帰宅する電車の中でも何となく分かったようで分からない気分が続いた。そして最初に書いたコメントに辿り着いたのは数日経ってからだ。そうか、皆さん、スピーカーの特色を前提にして、如何にそれを美しく際立たせるかを楽しんでいるんだということにやっとのことで思い至ったのだ。非オーディオマニアには驚くべきことに「アルテックの音を理想的に再生する」という命題がオーディオの世界には存在していたのだ。

もっとも、さらにハイスピードなスピーカーで本物らしさを狙う再生の主義も存在しているのかもしれない。だが、とことん本物らしさを狙うオーディオは、実際の楽器やホールの音を知っている人にとって、どんなにがんばっても追いつけないアキレスの矢と化し、結果的に音楽を聴く楽しみを奪ってしまうのではないかと思う。

話は変わって、ニューヨーク・タイムズによると、4ヶ月間、肩の手術で戦線から離れていたジェームズ・レバインが指揮台に復帰したそうな。タングルウッド音楽祭でボストン交響楽団を振ったシェーンベルクの「グレの歌」、学生を熱血指導した「エレクトラ」が絶賛されている。アメリカ人は、同国人の指揮者が好きだ。日本人が小澤征爾を大好きなように。

■At Tanglewood, James Levine Transforms Students Into Pros