ほめるのは難しい

人をけなすのは簡単だが、ほめるのは難しい。人をほめる文章を書いて、第三者を動かすのはもっと難しい。CDのライナーノートを読いんでると時にそう思う。

ライナーノートは、楽曲解説に終始する例を除くと、演奏家をほめるか、あるいはその演奏家が演奏する楽曲ないしその作曲者をほめる文章が並んでいるのが常である。素人ならば、美辞麗句を並べ、その仰々しさ故に感動や説得から遠ざかってしまうところを、いかに「そうなんだあ」と思わせ、かのCDを買った消費者に「自分はいい買い物をしたんだ」と安堵感を提供できるかが問われている。短い文章の中になかなか大変な芸が要求されているわけだ。もっとも、だから読んでうまいなあと感心するライナーノートってそんなに頻繁に出会わない気もするが。

今週聴いたダニエル・バレンボイムベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏するブルックナー交響曲第2番は、その点異色である。このCDの楽曲解説は、いかにブルックナー交響曲の書法が理解しにくく、我々普通の聴衆の耳に馴染みにくいものであるかを、当の交響曲第2番を例にとって諄々と説いていくのだ。

ライナーノートの筆者によればブルックナーの作品には「作法の奇妙な亀裂」が認められ「くよくよと途方に暮れて悩んだようなパッセージ」が続き、「臆病なため息音形が示す最初の身振りとそれに続く小市民的なくつろぎの間に見られるひどい矛盾」を起こし、「散りばめられた休符が、力を空回りさせているのではないか」と感じられる。およそ、第1楽章に関する文章が終わる間に、CDよりも先にライナーノートを読んだリスナーは、これから当のCDを聴こうという意欲を半分はなくしているはずだ。ところが、同じ調子はとどまるところを知らず、美文調の皮肉と否定は終楽章まで続いていく。

「もう分かったよ、このCDを買った俺が悪かったよ」と読者がげんなりしたところで、筆者は、最後のセンテンスを次のように締めくくる。4ページ弱の文章の中で、おおよそ5分の1ページを占めるこの文章だけが、ブルックナー交響曲を文字通りに肯定的に形容する字面なのだ。

「彼の音楽が今日でもなお聴く者に奇妙な感じを与えたり、うろたえさせたりするということ、彼の音楽が素早く消費されたり、安易に楽しめることを拒否することは、かえって彼の音楽に不思議な魅力を与えている。ブルックナーの音楽は「すべて労する者、われに来たれ。ただし、苦境を乗り越え、天へと通じる道はいばらの道であり、悪路である」(マタイ伝より)を示している。」

高度な芸で一発逆転を狙った筆者はブルックナーが好きなのか? そうではないのか? 読み終わった後にそんな当惑感を引きずるライナーノートは珍しい。やっぱりほめる言葉は率直であるに限る。