日本の合唱曲は微妙だ

次男がピアノの伴奏をするというので、彼が通う中学校の合唱コンクールへ。1年生から3年生までがクラス対抗歌合戦を行うのだが、鎌倉芸術館の大ホールを使わせてもらえるところがゴージャズだ。直人は、今年は地味な曲だったにもかかわらず「伴奏者賞」をもらってきた。

3年連続、このイベントを聞いた。中学生の歌なんか聴いて面白いかって訊かれると、正直言って微妙ですね。とくに1年目なんか「なんじゃ、こりゃ」と苦笑せずにはおれなかったもの。でも、3年続けて聴くと、子供達のレベルを理解した上で、ちゃんと聴衆として楽しむすべが自然と身に付いてくるから不思議なものだ。

また、ピアノの中には毎年、「この子上手いなあ」と思わせられる子が何人かいて、歌に比べてこちらはとても聴くのが楽しい。歌う子たちは人によってやる気にばらつきがあるから論評のしようがないが、それに比べると、ピアノの子たちはそれぞれに音楽的修練を積んでそこにいるわけで、聴かせる子はちゃんと聴かせてくれる。

去年、『走る川』を弾いた女の子は、どこかのピアノコンクールで上位入賞に入る腕前と教えてもらったが、なるほど、ほとんど独演会状態である。演奏前にハンカチをさっと脇に置く姿ひとつが自信満々で、キザで、絵になっている。今年、3年連続で「伴奏者賞」をもらった男の子は、曲の構成を完璧に理解して演奏に山や谷をこしらえ音色の変化を聴かせ見事なものだった。

それにしても、いつも思うのだが、日本の合唱曲が歌われる空間って、ローカルな日本の文化の中でも際だって国際性・普遍性・現代性から遠く、もしかしたらお茶とか生け花といった我が国の伝統芸能の世界に近いような気がする。そして、あの種の無意味な洗練の世界を子供たちに強いるのは可哀想だと思う。みんなもっと歌いたい歌があるはず。うちの子供は家に帰って来るなり、EXILEをガンガン鳴らして「もう、クソな合唱はおしまいだ」とうれしそう。