『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか』

村上春樹に関する個人的な感想を書いたら、さすが春樹さんだけのことはあるなと思ったのだが、数人の知人から反応があった。その反応が「賛成」「不賛成」の両方に分かれていたのが面白い。僕は「ノルウェイの森」以降、だんだん村上さんについていけなくなった。村上さんの問題か、自分の問題かはさておき、という率直な感想をブログに書いたのだった。4人の人たちからコメントをもらったうち、「自分の感じ方はちょっと違う」と言ったのが2人。不賛成の2人とも三十代で僕よりも一世代若く、村上受容の時期が異なるのが特徴である。そんなものかもしれないと、僕としては気軽に図式的な理解をしておくことにした。


昨年10月発行、ということはちょうど出て1年経った柴田元幸/沼野充義/藤井省三/四方田犬彦編『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋)をたまたま読んで、自分のブログでのことが頭に残っていたこともあり、とても面白かった。

この本、企画は国際交流基金とある。同基金が主催者で2006年3月に村上春樹をめぐる国際シンポジウムが東京、札幌、神戸の三都市で開催された。本書はその記録である。この本の編者の人たちが司会役を務めているセッションの記録を中心に編まれているのだが、世界各国から村上春樹の翻訳者・学者を集めてディスカッションを行った興味深い会の記録である。ちなみに「A Wild Haruki Chase」は『羊をめぐる冒険』の英訳版『A Wild Sheep Chase』のもじりだ。

事情に疎い僕は「なるほどなあ」とページのあちこちで唸ることしばしだったが、村上春樹は先進国だろうが途上国だろうが、区別なくグローバルな規模で受容が進んでいるのである。ちょっとは聞いていたけれど、これほどまでとは思わなかったというエピソードがちりばめられており、楽しいびっくりに満ちた読書になった。

その各国での受容だが、新しいものに出会った新鮮な感動が発言している翻訳者・学者の発言から立ちのぼっていて、それは初々しいと形容したくなるほど。自分が『風の歌を聴け』に出会った頃の、流行の茂木健一郎用語で言えば「クオリア」を思い出すようだった。こういう読書はいい。

そんなハッピーな雰囲気に対する嬉しい困惑を柴田が巻の最後にしたためた一文「騒々しい議会」で述べている。僕はこの文章がとても素晴らしいと思った。その中で日本のムードに触れた部分はこう。

あくまで個人的・部分的印象だが、村上春樹をめぐって日本で書かれる文章は、ある時期以降、全般的に、当初の新鮮さが薄れてきたように思う。当初は、なぜ村上春樹がおもしろいか(あるいは、おもしろくないか)が、あくまで読み手個人の実感に基づいて論じられることが多かったのに対し、おそらくは『ノルウェイの森』の大成功以降、なぜ村上春樹が売れるのか、が暗黙の問題設定になったり、逆に村上春樹がおもしろいということは当然の前提となったり、いずれにせよ読み手の実感を賭ける感じが薄れてきた気がするのである。あくまで全般的傾向についての話だが、とにかく全体的になんとなく「不機嫌」。


「読み手の実感を賭ける感じ」「なんとなく「不機嫌」」という表現がとてもシャープに感じられる。たぶん僕自身の構えも「なんとなく「不機嫌」」の類じゃないかと思う。あまり考えなしに書くのだけれど、正直なところ「そんなにメジャーになって欲しくなかったのに」というミーハーなファン心理も含まれているのである。きっと。



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