ワールドカップ(その2)

日本対パラグアイ戦のテレビ視聴率が関東では 60%だったということだから、この界隈でももっとブログのネタになってよさそうなワールドカップだが、実際にはそうはなっていないのはなかなか興味深い。これだけメディアが報道に明け暮れれば、いまさらブログに何事かを書きつける意欲はそがれてしまうということだろうか。

そんなことを思いつつ、ブログも書かず、仕事もせず、屁もひらず、時間があればワールドカップ視聴にあけくれるこの2週間。我ながらおめでたいことだなあと自分自身に半ばあきれながらも、この楽しみは捨てがたい。今年は日本代表も日韓大会のとき以上に充実した試合を見せてくれたし、フランス、イタリアの予選リーグ敗退、ジャブラニブブゼラマラドーナ、誤審騒ぎと話題満載で、さすがに4年に一度の蹴球の祭典はおもしろさにことかかない。寝っ転がって楽しむ娯楽のなかで、これに勝るものはないというのが、1982年以来の確信である。

オリンピックやワールドカップのようなスポーツイベントほど国の存在を実感として際だたせる機会もないわけだが、自国の勝利に沸き返る各国国民の映像を目にするたびに、人間というのは、あるのかないのかわからないものに自身を投影し、あたかも自分自身のことのように思いなして喜んだり、悲しんだりするものなのだなと、あらためてそのことに不思議の念を覚える。

ドイツの酒場で、自国のチームを褒めそやしたり、誰それを批判したりするくたびれたアル中オヤジと、ベッケンバウアーや、ルンメニゲや、クローゼがつながっているのは、オヤジ自身にしてみれば紛うことなき事実なのだろうが、それにふんふんとつきあう外国人にとっては、あなたはあなた、ベッケンバウアーベッケンバウアーと言いたくなる。言いたくなるのだが、その光景を目にしていると、彼とベッケンバウアーとをつなぐ同心円的な場の存在も否定しがたいと思わせるところがスポーツの不思議だ。こと団体スポーツには、その幻想を活性化させる「私たち」という主語が存在し、異なる「私たち」をひとつの「私たち」に見なすことを容易にする仕掛けが内在化されている。

1998年のフランス大会決勝。僕はその決勝戦のテレビ放送をドイツ人と一緒にベルリンのスポーツバーで観戦した。言わずとしれたジダンが、黄金のように輝いた大会だ。知り合いのドイツ人に連れて行かれたバーは、ベルリンの目抜き通りであるクーダムにほど近い場所にあったのだけは覚えているが、正確な場所は記憶からとんでいる。その二度とは行くことがない大きな酒場の、大きなテレビ画面のなかで、青のフランスチームと黄色いブラジルチームが激闘を繰り広げるのを、僕はむしろぼんやりと眺めていた。

驚いたのは、周囲のドイツ人たちが、一人の例外もなくフランスを応援しているように見えたことだった。ジダンの2ゴールを含めた3ゴールで、フランスがブラジルを完膚無きまでにたたきのめしたこの試合、フランスが得点をあげるたびに酒場の中は野太い歓声が爆発した。ご存じの通り、フランスとドイツは必ずしも仲のよい間柄ではない。そう僕は思っていたし、ドイツ人がフランスに対してライバル心を表明する場面を体験してもいた。だから、その心からの喜びの表現は、僕にとって思わぬ出来事であったし、自分が如何にヨーロッパを知らないよそ者であるのかをあらためて認識させられた瞬間であったし、愛国心が同心円的な広がりを持つことを確認した場でもあった。何故そこに「私たち」は必要なのか。何故そこに「私たち」が出現するのか。

数日前の関西国際空港には4千人を超えるファンが帰国した日本代表チームを出迎えた。何百という携帯のカメラが選手たちに向けて差し出される様子を見ながら、こうしたエネルギーがこの日本にも隠れているのだなと、しらけきった東京の街中や、人を人とも思わない電車の乗客を同時に思い起こしながら、また不思議な気分になった。

その翌日、勤め先のすぐ横で、「たちあがれ日本」の与謝野薫さんが参院選の街頭演説をしていたのにぶつかった。「料亭に行きたい」で有名になった杉村某の応援演説だった。驚いたことに、誰一人として足を止める風ではないのである。どこかに群衆がないのかと、思わずあたりを見回しても、そんなものはどこにもなく、駅を起点に往来する人たちの上を与謝野さんのしゃがれ声が空虚に通り越しているばかり。この前まで財務大臣の立場にあり、影の総理とまで言われた人物が話をしている姿に感心を向ける人が誰もいない。昨日テレビで見た群衆の熱さと、有名政治家の横をそそくさと通り過ぎる人々との冷ややかさとがあまりに強烈な対称をなしていて、そのことをブログに記録しておきたいと思って書いたエントリーである。