港北区民交響楽団定期演奏会

毎年お招きに預かっている横浜のアマオケ港北区交響楽団の定期公演に今年も行ってきた。いつも、このイベントがあると、もうすぐ春が来るなあといつも思う。繰り返す春であると同時に、毎年違う春、新しい春。今年はとくにそういう思いが強い。

今年の演目は、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲、モーツァルトの39番の交響曲、トリがシベリウスの2番という名曲コンサート。モーツァルトは派手な2曲の間にはさまれて少し居心地が悪そうに聞こえてしまったが、今年もとても素敵な演奏だった。

ここ数日のカラヤンがどうのこうのと書いているけれど、録音よりも実演を聴く方が絶対に楽しいし、本当はどんなに下手でも自分が弾くのが一番楽しい。聴きながら、そんなことを考えた。

シベリウスカラヤンがいたからこそ広まった作曲家だということにも思いが至った。2番はともかく、4番や6番など、いまだって一般には受けない曲をカラヤンは世の中がまるで反応しない時代に取り上げていたのだ。以前、聞いたことがあるが、カラヤンがとりあげる前には、ドイツではシベリウスなどまるで馬鹿にされていたらしい。カラヤンが名曲のセールスマンにすぎないという批判は当たらない。

今年の指揮者さんはオーソドックスな音楽をつくる人で、昨年が派手に自己主張するタイプの方だったのと好対照だった。シベリウスでは熱い音楽が鳴っていた。たった一度だけ訪れたフィンランドのことも頭をよぎった。