それをいっちゃあおしめえよ

昨日、編集者のKさんと企画の話をしていて、渡辺千賀さんの最近のブログ・エントリーを読んだかと訊かれた。僕は知らなかった。


http://www.chikawatanabe.com:80/blog/2009/04/future_of_japan.html


海外で働くことについては、はてなの近藤さんがシリコンバレーにわたることを発表した際に、このブログで感想を書いたことがある。日本に残される若者が心配だと書いた。偶然にもちょうど3年前の今日の話だ。昨日話題にした高校球児の息子が、中学の陸上部で100mを走っている話が書いてあるので、びっくりしてしまった。そのときは、はてなも、日本のIT業界周辺も「Web2.0」ブームの真っ只中で、あまり読む人がいない場末のブログであることは割り引いても、この記事に対してあまりに反応がなかったことに拍子抜けの気分が少しあった。


http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060715


日本はもう駄目だと思うと書く人は、当然、そういうメッセージに対してゴムまりのように反発する元気のよい読者を想定しているはずで、おそらく渡辺さんは、彼女のブログの読者の中に何人もいるだろう、そうした若い人たちに向かって、あえて反語的な表現で行動を促しているのだと思う。

だが、そういう語りに対して初めて反応して、「よし、海外留学して、海外で働こう」なんて思う奴は、もう全然駄目だ。僕の周りには、海外で働く友人・知人が何人もいるが、そいつらは体の中に最初からドイツ人が言う「Fernweh」(遠くに対する憧れという意味。僕がもっとも好きなドイツ語の一つ)を持っている。それを心に抱く人は、言われるまでもなく自分自身で一歩を踏み出すはずで、そうじゃない人は別に外国いかなくてもいいでしょと僕は思う。

ましてや、「日本がもう駄目だから」というのは「それをいっちゃあおしめえよ」で、最低だと思う。日本がある意味で最低なのは、僕らが生まれる遙か昔、夏目漱石が小説を書いていた頃からそうなのである。

日本経済が直面する構造的問題について言えば、例えば年金破綻と少子高齢化の問題など人口動態の変化に絡んで日本がまずい方向に向かうことについては、僕が学生時代だった1980年の頃には、もう専門家はマスコミで発言をしていたし、起こるべきことが起こっていると考える方が適切である。これから過去積み重ねてきた仕組みはますます崩れ、さまざまな価値観が林立し、しかし、「みんなで一緒に」という日本原理はなかなかなくならないから、この国の居心地はますます悪くなる。

ただ、日本が悪くなっている実感、日本の社会が硬直している実感、その悪さ加減の実感は、日本で24時間/365日暮らしている僕らには、それぞれの感じ方で分かっていることなので、海外で暮らしている方に、今さらに日本は駄目だと言われてもなんと返答すればよいのか困ってしまう。

心にしっかりと「Fernweh」を抱く人は、その心のおもむくままに遠い土地に向かえばよい。それをしない人、できない人と、住みにくいこの世を如何に住みやすく、あるいは住みやすいごとく生きるかを考えていかなければならない。そこでブログの仲間の存在が僕個人にとって大きな意味を持ってくる。中途半端だけれど、今日はここまで。