遠近両用メガネ

2年ぐらい前から禿げだしたと思ったら、今年から老眼を意識させられるようになってきた。電車の中での読書は貴重な趣味の時間だが、車両のほの暗い照明の下で文庫本を読むことができなくなってきたのだ。混み合っている中で、目と本とが目と鼻の先といった状況では、まるで眼鏡のレンズが焦点を結ばないのである。一方で近視も進んでおり、遠くを見るのも楽ではない。今のメガネはかけ始めて6年が経つから、それも道理だとは思った。

というわけで本日より遠近両用メガネのお世話になり始めた。また一層老化の証拠を突きつけられるようでぱっとしない気持ち半分と、これで世の中が見えやすくなるのであればテクノロジーの勝利だなとほくそ笑む気持ち半分で帰宅途中に眼鏡屋に向かったが、かけた瞬間から意識に上った違和感がまだ消えない。ローガン鏡の部分はレンズの下の方にあって、手もとの字を見るときはここを通すように視線を落とす必要がある。ところが、どうやら僕は視線を落とすのではなく、首を曲げ紙面と直角で対峙するのがこれまでの本との付き合い方だったらしく、そんな風に自然とふるまうと普通の倍の値段で購入した新兵器はまるで使い物にならない。無理矢理に背筋を伸ばして、下を覗くという作法を意識しないと読書ができないのだ。この焦点を結ぶエリアが想像していたよりもかなり狭い印象がある。それに近視自体は進み、度が進むたびに経験する妙な世界のゆがみを脳はめくるめく体験中でもある。

どうやら、新しい文明の利器にあわせて、これからの僕は新しい身体の動きを身につけていかねばならないらしく、突きつけられたその事実に対して、へそ曲がり特有の不満と、加齢の悲しみと、適応への不安とが否応なしにやってくる。こういう事実をブログに向けて率直に文字にすることが「もののあはれ」に通じているのかどうか、書いている本人にはよく理解できていない。