美崎さんの実践の普遍的な部分

一緒に『記憶する住宅』を訪問したfuzzyさんが、美崎薫さんのSmartWrite、SmartCalenderに関して「Smart」をキーワードにとても興味深い論を立てています。

fuzzyさんいわく、

「smart」とはあたかも知能を持っているかのように、自律していること――他の人や装置からの指示を受けない場合にも動くもの――、処理すること――何らかの入力を元に判断する能力を有すること――を指すという認識が適切なようだ。人間や他の機械の操作や指示によってただ動くだけならDUMB装置なのである。また、知能が「造られた物」に存在することを指し、人間の知性の活動を補助(assist)するものは「道具」という語を当てはめるのが適当だろう。
(SmartWrite/SmartCalendarは情報羊の夢をみるか?『fuzzy weblog@hatena』2006年11月5日)


その限りにおいてSmartWriteとSmartCalenderはsmartとはいえないはずというのがfuzzyさんの論点の一つめ。また、グーグルに代表されるsmart軍団にsmartじゃない道具は早晩駆逐されてしまう恐れがあるから、生き残りを目指すのなら、SmartWriteとSmartCalenderも真のsmartな道具に化かす必要があるんじゃないかというのが二つめの論点です。

「Smart」という看板の違和感を出発点にSmartWriteとSmartCalenderの本質について議論をしましょうというfuzzyさんの立脚点はエンジニアらしい鋭敏さとにオシャレさとを備えていると言ってよいのではないでしょうか。fuzzyさんはソフトウェアの人かと思ったら、お会いして話を聞いてみるとソフトだろうがハードだろうが、ITのあらかたの話題に知識をもっているエンジニアで興味も実践の幅もとても広い。今回の問題提起も面目躍如という感じがします。


この話題はどうしたって美崎さんと直接やっていただく必要があるので、外野の観客が直接首を突っ込むのは避けた方がよいのかもしれませんが、せっかくなのでfuzzyさんの尻馬に乗ってinteligent、smartを目指すIT先端企業と比べたときに露わになる美崎さんの資質について『美崎邸訪問記』の中で書きそびれたことを付け加えておきたいと思います。「SmartWriteとSmartCalenderって何?」という方には、まったくもって訳の分からない文章になりますが、どうかご容赦ください。ご興味のある方は、まず美崎さんの文章をお読みください。

■『記憶する住宅 −ITリフォームから電脳住宅へ』


美崎さんの『記憶する住宅』のプロジェクトは自分が体験した情報の集積、もっと言えば自分自身にとことんこだわり、自分の中に探りを入れて思索を積み重ねようという試みです。美崎邸で聞いた美崎さんの話の中に印象深い言葉がありました。「本当は、家自体は“記録する住宅”であって、家が記憶をする訳ではない。『記憶する住宅』はアピールの高さを考えてつけたネーミングであって、記憶するのはあくまで人間だ」という趣旨のことを美崎さんが語ったのです。美崎さんの試行の意味をよく表している言葉だと思いました。つまり、美崎さんがこだわる「記憶」と「想起」は主体となる人間がいないとまるで成立しないからです。


グーグルが目指しているのは、利用者に対して「課題を教えてくれたら、あんたが瞬きしている間に答えを出しとくからさ、まかせといて!」と言い放つような類のソリューションの開発と普及ですが、これに対して美崎さんは問題解決のためにせっせと知的な汗をかくことを自分に課しているような人です。たくさんの肩書きを持つ美崎さんの、よく知られたとんでもびっくりな肩書きは「未来生活コーディネーター」ですが、この前お会いしたときに知った最も新しいそれはなんと「夢想家」でした。「やばい、夢想家だよぉ」と思いました。美崎さんはほんとにお茶目です。コンピュータの能力を活用してデータや知識を最大限に活用したいと考える点でグーグルの人たちと美崎さんは似たような問題意識を持っているとは言えますが、グーグルが「広汎な普及=ビジネスとしての成功」の方向に突っ走るのに対して、美崎さんは夢を見る方向にゆらゆらとたゆたっていくのだとすれば、「グーグル対美崎」の図式をグーグルの土俵であるビジネスの世界で思い描いてみるのはあまり意味がないのではないかと思うのです。 そうではなく、「グーグル対美崎」がラジカルな意味をなすのは、あくまで思想の領域であるはずです。


美崎さん、三上さん、fuzzyさんらと一緒に観た橋村奉臣[HASH]Iさんが超絶技巧で時代の先端を拓く写真表現をしながらも、デジタル写真ではなく、フィルムの持つ微妙な質感の世界にこだわっているのと同様、美崎さんも人間に本来的に備わっている感覚の連続性みたいな部分にとても意識的な人です。SmartWriteとSmartCalenderもモードレスにこだわって紙を使ってメモを取るようなアナログな感覚をコンピュータの世界に持ち込もうとする実験であるという側面が、とても強く意識されています。『三上のブログ』の三上さんは「美崎薫邸「記憶する住宅」を訪問して驚いた、というか、深く共感したことのひとつは、案の定、美崎さんはデジタルオンリーの人ではなかったということだった」(電子化されない記憶『三上のブログ』2006年11月5日)と書いています。僕も同じような感想を持ちました。


美崎さんが実践しているスライドショーによる記憶の活性化という方法は、以前、東京大学水越伸さんがどこかで書いていた、(書物の)「“ぱらぱらめくり”の感覚と技術」という話に非常に近いものがあります。僕は美崎さんが、ほんとうに紙に書いたり、それらを整理したりするようにVAIOの上でSmartWrite/SmartCalenderを扱う様子を端で目にして、これらの道具の“美崎さんにとっての”有用性を心の底から信じました。美崎さんの思想にこれらのアプリがぴたりと寄り添っているように見えました。ところが、その姿に感化されて、SmartCalenderをダウンロードしてみても、何をどうやったらどうなるかがよく分からないんですね、これが。「?」と思っても、今のところちゃんとした取扱説明書すらないし、そもそも説明書の存在自体をモードレスという美崎さんの思想が嫌っている。結果として、気まぐれな猫みたいに言うことを聞かないのです、SmartCalenderの奴めは。


というようなことを考えると、fuzzyさんが提起したSmartWriteとSmartCalenderの商用化や普及というお題を出発点とするディスカッションに美崎さんがどんな風に反応するかはなかなか興味津々だなあと思うのです。グーグルやその競争相手が実現するだろう、目的に応じてあらゆる情報を検索し、最適な答えをお皿に盛って出してくるような世界と、美崎さんのように自分の体験にこだわり、「記憶」と「想起」という個人の可能性に真実を見いだそうとする世界がどのように交差し、融合していくのか、または反発しあって新たな思想を作り出していくのか、僕自身はそこに今けっこう大きな興味を抱いています。つまり、既存のβ版アプリケーションの普及という思考実験よりも、美崎さんの実践の普遍性について吟味し、あらためて本当に普及できるものは何かを考えていくことの方が先のように感じています。というわけで、SmartCalenderを使ってみようという最低限の気持ちはあるのですが、どうなってんの、これ?(笑)