ユベール・スダーン指揮東京交響楽団のベルリオーズ『ファウストの劫罰』

今日は東京交響楽団の創立70周年記念演奏会と銘打たれた『ファウストの劫罰』をミューザ川崎で聴いてきた。指揮は3年前まで音楽監督をだったユベール・スダーン

ファウストの劫罰』はオケに独唱、合唱が加わる大曲で、なかなか生で聴く機会がない。曲の最後の最後に短い時間、少年合唱団が入るのがおそらくはその理由で、オーケストラとしてはそんな面倒な曲はなかなかできませんということじゃないかと想像するが、大人の合唱が大変なことを含めて、いずれにしても簡単な曲ではない。もっとあちこちのオーケストラ、合唱団がレパートリーにして頻繁に演奏されてもよさそうな、と最近はマーラーの大曲もしばしば取り上げられるご時世なので、そのように思うところだが、何故か日本ではほとんど演奏されない。かく言う私めも生で聴くのは初めて。

だから、生で聴けた!というだけで感激の本日だったが、演奏が間違いなくよかった。歌手にペトレンコみたいな一流の売れっ子を連れてきて、さらにアマチュアの東響コーラスが素晴らしい。録音で聴く限り、けっこう演奏でスタイルが違うので、さてどんな風になりますやらの興味津々ではあったが、スダーン氏の中庸をいくさっぱりとした解釈は初めての生ファウストには最適の指南役だったかもしれない。

やっぱり生はすごいなあ、と録音でしか知らない一聴衆は思った。「アーメン・コーラス」も「蚤の歌」も、「鼠の歌」も「おうちの前で」も、当たり前だが、すべてが我が家のステレオ装置では決して出てこない音圧に立体感。ぞくぞくものである。こういう思いは久しぶりかもしれない。ベートーヴェンとか、ブルックナーとか、マーラーとか、浴びるほど、飽きるほどに同じ曲を何度も聴いて、それでも名曲は飽きないところがすごいが、しかし、やはり「初めての生!」の感動はなにものにも代えがたい。ベルリオーズの甘ったるさ、とか思っていた私めが悪うございました。申し訳ございません。

で、そうしたわくわく感満載の2時間を過ごした中で、マルグリートが歌う「トゥーレの王様」(森鴎外翻訳の『ファウスト』の、「昔ツウレに王ありき」だ)がとびきり素晴らしかった。マルグリートを歌ったソフィー・コッシュというフランス人の歌い手さんは、豊かな声量と、実に深い声を持つソプラノで、メゾに近い奥行があり、容姿も実に格好いい。ヴィオラとの掛け合いで紡ぎ出される、ドイツにもイタリアにもない噛み締めるような、清涼な脱力感を、この見事なソプラノで聴けた喜びは大きい。

というわけで、堪能させていただきました。合唱団、見事でした。東響、期待にたがいませんでした。