東京でのコンサート通い

敬愛する音楽評論家、吉田秀和は一流にしか興味がない人だった。吉田さんはコンサートや録音の時評も好んでやったが、日本の音楽家はほとんどその対象には上らなかった。どこかが突き抜けている人、突き抜けようとしている演奏しか相手にしようとせず、その結果として日本にいればいくらでも聴ける日本の演奏家や楽団は批評の材料として眼鏡にかなうことがなかった。正直な人だなと思う。

例えばオーケストラ。日本のオケの演奏会評が時評として芸となったり、新しい何かの表現になるということがありえるかと考えると、やっぱりほとんどないのじゃないかと思う。安物のステレオ装置からは出てこない音を楽しむ音響の楽しみが生の演奏会にはあり、それは早い話しがどんな下手な楽団だろうが、アマオケだろうが、コンサートホールに出向く楽しみとしてあるのだけれど、素人なりに語りたくなるような何かに出会う機会はやはりほとんどない。なんという贅沢な感想だろうとは思うが、でも正直なところそうとしか言いようがない。

そんなことを思いながら、しかし、月に1、2回、都内のコンサートホールを訪れている。いつだって、何かに出会いたいと思い続けてはいるのだ。きっと。