ここは少し薄暗く、すべての存在が明瞭な輪郭を欠いてる。それでもホテルのロビーらしいということは自明の範疇に属している。らしいと言うのは、それが夢の中の話で、それ以上でもそれ以下でもないのだから、そこにはらしいという以上の現実は存在しないという意味でもあるし、夢の話を文章にするにあたって、夢の気分を文章にするには「らしい」はそれに相応しい助動詞ではないかと、ふと考えたからかもしれない。すでにどこから夢で、どこからそうでないのか、自分でも判然としない。

そのホテルのロビーで、壁際にそって小さな行列に連なっている私は、若い大柄な制服姿の女性従業員に何事かを尋ねられる。すべてが静けさの中にある。「若い大柄な制服姿の女性従業員」とは、いったい何なのだろう。「若い大柄な制服姿の女性従業員」は私にとって、なにがしかのセクシュアリティの表現なのだろうか。少し違う気がするし、どこかで真実の自分とつながっているのかもしれないと思わないでもない。そんなことを言えば、あらゆる想念は自分とつながっているのだけれど。

そんなことをある一瞬に思い浮かべ、はっと我に返る。通勤途上の東海道線。午前7時15分。私はドアの脇にもたれて、なにがしかの時間、おそらく何秒ともしれない束の間の、永遠の時間、目を閉じて夢を見ていたのであるらしい。

真実は朝の人いきれの充満した通勤電車にあるのか、一瞬の夢の中にあるのか、何が真実なのか。

対向する電車が轟音を立てて通り過ぎる。