スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第4番

一週間前にユベール・スダーン指揮東京交響楽団シベリウスのバイオリン協奏曲とブルックナー交響曲第4番を聴いた。場所はミューザ川崎シンフォニーホール(11月3日)。

コンサートホールの話から切り出すのは音楽会の話題としてどうなんだろうという気がしないでもないが、ブルックナーをミューザで聴くと今一つしっくりしない。この思いは4月に初めてこのホールを訪れて、震災後初のホール再開記念コンサートで9番を聴いたときの感想に直接つながる。細かい音までもがきれいに聴き取れるハイファイ調で、硬質な音がガンガン飛んでくる。残響もしっかりと乗る。音のよいホールという評判の場所ならではの音響体験ができるという意味では、たしかにここには他では味わえないものがあるのだが、音が融け合い雄渾な響きが出てきてほしいときに、そうはならない。ブルックナーを聴くと、デジタルアンプで腑分けされた音を聴かされているようで、合わないなあと思う。

ただし、その音調は、シベリウスにははまるように思われる。だから、この日の一曲目、シベリウスのバイオリン協奏曲は、この楽曲演奏の白眉を聴いた気分にすらなった。ここから視点が横滑りして演奏家の話に移ると、この日のバイオリニストはレイ・チェンという台湾の若手演奏家で数年前のエリザベートで一等賞を取っている人。素晴らしい音楽性。同じプロの音楽家でも歌をうたう能力には人によって違いがあり、そこには天性のものがあると感じずにはおれないが、この人には楽譜に書かれた音楽をまるで自分がそこで作りだしているかのように自然に歌える才能があり、うたを支えるしっかりとした技術がある。硬質の、目の覚めるような音色でシベリウスが紡ぎだされた。この人のことを知ったのは、この日の大きな収穫だ。

スダーンのブルックナーを聴くのはこれで4度目。最初に8番をサントリーホールで聴いたときは、こんなにブルックナーらしい演奏を聴けるとは思っていなかったので、そのこと自体に大きな満足を味わったのだが、いったん、このコンビでどの程度のことがなされるのかを知ってしまうと、その安定した演奏水準自体に驚きがなくなると、ないものの方に意識が動いてしまう。曲のツボをしっかりと抑えた、破綻のない合奏を指導する抜群の能力があり、しかし、世界的にはメジャーなオーケストラには呼ばれない指揮者に足りないものがあるとすれば、それはなにか。そんなことを考えてしまった。スダーンの曲作りには驚きがない。素晴らしい水準に合奏を高めるのだが、出てくる歌が最初から最後まで極端に言えば同じトーンで、先が読めてしまう。先が読めるというというのはたぶん言い過ぎなのだが、聴いた後にそうした言葉が出てきてしまうのだ。繊細なチェンのバイオリンを聴いてしまった後なので、とくにそう感じられたのかもしれない。

東響の演奏はとてもよかったが、全体的に木管のパートが引っ込んでしまう感があり、そこが残念。今年は、月に1度と言わず回数日本のオケを聴いている。自分にとっては、相当の回数で、そんな体験が積み重なると、やはり日本のオケってどうよ、と思ってしまうところがある。