ハーディング指揮新日フィルのシューマン交響曲第3番

6月28日のサントリーホールシベリウスの5番の交響曲、ヴィトマンの『トイフェル・アモール』という現代音楽の大曲のあと、この日のエンディングに演奏されたのはシューマンの3番『ライン』だった。

20世紀の初頭に書かれたシベリウス、21世紀の初頭に書かれたヴィトマンの響きを浴びた耳に、一挙に遡って19世紀の半ばに書かれたシューマン交響曲はとても優しい音楽に聴こえる。音楽の口直し? おそらく。いつまでも18世紀や19世紀の音楽を後生大事に聴き続ける聴衆の存在は、そもそも時代錯誤の存在であるオーケストラの経営的バックグラウンドなのだから、「なんて俺って保守的なんだろ」なんて思い悩む必要もない。新日フィルの奏でるラインの流れにおもいっきり気を許してたゆたうばかり。

ハーディングもオーケストラも、小難しい日本初演作品のあとの『ライン』は実にのびのびとして見えた(あれはしっかり練習したのだろうか?)。神経質なところのないオーソドックスといってよい解釈で、いつも聴く名曲をいつも聴くようにリラックスして聴くというタイプのコンサートも、ひとつの典型的な幸せのカタチであるような気もする。

しかし、ハーディングというのは、いったいどういうタイプの指揮者なのだろう。そう、いぶかしく思わざるを得ないほどオーソドックスなライン。こうして変ホ長調シベリウスで始まり、調性のない世界をさまよったのち、再び変ホ長調シューマンで幕を閉じたコンサートは、変化に満ちているという点ではなかなかの体験だった。