ハーディング指揮新日フィルのシベリウス交響曲第5番

ダニエル・ハーディング指揮の新日本フィルハーモニー管弦楽団シベリウス交響曲第5番を聴いた(2013年6月28日、サントリーホール)。

シベリウスの5番は何度か実演で聴き、ディスクで聴いたものを含めると様々な演奏を体験したが、ハーディングと新日の演奏は音響的には作為のない正攻法ながら、聴き終わって印象に残るのは、この曲には珍しい抑制の効きよう。温度感の低い5番というべきか、同曲の解釈として普通に想像できる範疇からははみ出ていた。

シベリウスの5番は、彼の交響曲の中では2番に次ぐ分かりやすい人気曲で、しばしば「祝祭的な」と形容される。というのも作曲家の50歳のお祝いのコンサートのために作られたという経緯があり、曲想はたおやかさ、北欧の夏のような明るさに彩られている。実際、そういう演奏になるのが普通だ。第4楽章のエンディングに向けて晴朗なクレッシェンドのカーブが描かれる。

ハーディングは生真面目な新日フィルの性格を活かして、くっきりとした北欧の空気のような5番を生み出す。本当にそれは、ただの一度だけ訪れたヘルシンキの空気を思い出させるのに十分な冷たさを含んでいたといってよい。ハーモニーのバランスは正統的シベリウスで、十数年前にラトル指揮のフィラデルフィア管弦楽団で聴いた際の、内声部をことさら引っ張りだしたり、引っ込めたり、ふだんと違うものを聴かせようという魂胆丸出しの演奏などとは一線を画し、作曲家に対する敬意は否定すべくもない。

でも、大団円的な解決を避け、ブラヴォーを叫べないような演奏に仕立てられた5番は、やはり個性的だった。4番と6番に間にあって陽だまりのような感覚を覚える曲というイメージは消し飛んだ。新日フィルがクソ真面目な響きを出すからこうなったのか、指揮者がことさらにそこを意識したのかはよく分からない。

というような演奏が、続いて演奏された熱い現代曲の前座として演奏された。シベリウスの5番とシューマンの3番に挟まれる現代曲は、おそらく口直しの一品のようなおとなしいものじゃないかと想像していたら、これは大違いで、結局のところ、日本初演となったその熱演の前に、冷夏のような5番の解釈はおさまりがたいへんよかったということになる。

ハーディングにとってシベリウスの5番というのは、どうやらそういう曲だったということのようだ。僕は、シベリウスの5番をトリで聴きたい。トリにふさわしい、構えの大きな5番を聴きたい、と思ったことだった。こういうところが、保守的なリスナーだなと自分でも少し呆れるのであるが。