腰痛からの帰還

腰を痛めてルーチンの日常生活から少々離脱しただけなのに、なかなか元に戻るのが容易ではないと感じるのは自分が気がつかいないうちに体が老いている証拠のようなものだろう。足を動かすと、左足に緩慢なしびれがやってくる。だから、椅子に座り続けるのはおおむねオーケーというところまではきたものの、まだ歩くのがひどく億劫。

自分ではもうしばらくしたら元に戻るつもりではあるのだが、果たしてそうだろうか。体はそこそこ同じように動くようになるとしても、そのためには今まで以上にエネルギーを必要とするようになるのではないかと考えたりもする。つまり、こうした小さな事故や意識にも上らない組成の変化を積み重ね次第に肉体の老化は進んでゆく。そういう風に理解をすることに何の意味があるのか。それはどこにつながるのか。

テレビではマリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団を指揮している。ベートーヴェンの運命。ヤンソンスを最初に聴いたのはニューヨーク・フィルブラームス2番をやった際のリハーサルで、あのニューヨーク・フィルの弦からしなやかな音を紡ぎ出していたのに瞠目した。その次に聴いたのが、ピッツバーグ交響楽団との演奏会で、この時にはさすがにあのオケから客演で柔らかさを引き出すなんてことはできず、元気のよいばかりの幻想交響曲を聴かされたっけ。それほど数を聴いていないので、未だにこの人がどんな指揮者なのかよく分からない。聞こえているバイエルン放送交響とのベートーヴェンは、細かい部分では新鮮な聴こえ方はしても、カッチリとした構成の嫌味のない演奏で、バイエルンのオケはさすがに上手そう。我が家のテレビでは本当の演奏会の上澄みのような音しか聴こえてこないので、想像をするしかないが、この演奏会に実際の会場で接したら幸せになれたかもしれない。前にこのオケを聴いたのは90年台後半。当時ミュンヘンにお住まいだったYさんご夫妻を尋ねた際にガスタイクでマゼール指揮のブルックナー5番のチケットを取っていただいた時だから、もう十数年も前のこと。ミュンヘン・フィルといい、歌劇場のオケといい、ミュンヘンはよいオケがある街だな。なんだか語るのは過ぎた出来事ばかり。