テミルカーノフ指揮読響のショスタコーヴィチ、ドボルザーク

木曜日から腰を痛め、2日間続けて勤めを休む。2日も病休をとるのは自分自身でも珍しいこと。寝ても痛く、座っても痛い。立っているのがむしろ楽なのだが、とは言え、やはり立っているのはほんとに楽かと言うと、それも限界がある。腰の痛いのは厄介至極だ。最近、年齢を感じる機会が多すぎる。

会社を休んでおきながら不謹慎極まりないのだけれど、買い置きのチケットを無駄にするのはもったいなく、夕方に動き出してサントリーホールに読響を聴きに出かける。自宅の椅子も、電車の座席も辛いのに、サントリーホールの座席は実に座りやすかった。コンサートの間は腰の痛みを忘れることが出来た(5月17日、サントリーホール)。

読響はユーリ・テミルカーノフの指揮で、ショスタコーヴィチ交響曲第1番とドボルザーク交響曲第8番というプログラム。テミルカーノフって聴くのは20年ぶりぐらいかな。前に接したのは、やはり同じサントリーホールで、その時は手兵のサンクト・ペテルブルグのオーケストラだった。ロシアのオケを聴くのはそれが初めてだった(今のところは最初で最後)のだが、聞きしに勝る馬力だが、あまりにデリカシーがないと感じられ、辟易した覚えがある。

そんな記憶があるので、テミルカーノフと聞くと「ノー・サンキュー」モードだったのだが、クラシック友達のYさんが良いというので、ちと出かけてみるかとなった次第。

テミルおじいさんの演奏は好きですか、嫌いですか、と訊かれれば、あまり好きではありませんの類だなとあらためて思いもしたが、こういう個性を聴くのもそれはそれで悪くない。彼のフレーズの取り方は少し前のめりになる傾向があり、どこか落ち着かない気分が混じるのだが、オーケストラのドライブ力はさすがである。伊達に世界の有名オケのシェフを長いあいだ務めているわけではない。ショスタコーヴィチの1番のような難しい曲をきちんと料理し、面白く、説得力をもって聴かせる技に接すると、やはりなかなか聴けないものを聴いた満足感に包まれる。ショスタコーヴィチのあとに聴くドボルザークはなんと分かりやすい。

読響は弦のアンサンブルは綺麗で、安定感はさすが。ただ、この前聴いたミュンヘン・フィルの記憶がどこかに残っているらしく、比べてはいけないのだが、あの柔らかさを思い起こすと少々いけない。これが不幸の始まりである。ド素人のリスナーはわがままなのである。木管は、もう少し。一部のパートがもう少し。ショスタコーヴィチのときにティンパニさんの音程がおやおやだった? ともあれ、楽しめた。なんで、ショスタコーヴィチの1番の後にドボルザークの8番なのだろうというのも面白かった。

腰が痛いので、今日はもう限界。