ブルックナーとドイツ文字

ちょうどひと月ほど前になるが、ブルックナー交響曲第9番と『テ・デウム』を続けて演奏するコンサートを聴いた。その際に、9番とはまったく性格が異なる『テ・デウム』を未完成の第4楽章の代わりに演奏してほしいと言ったというブルックナーの心持ちに思いがよぎり、ブログのエントリーを書いた。


■なぜ『テ・デウム』なのだろう?(2013年4月13日)


遺言のように受け取られている「9番の4楽章の代わりに『テ・デウム』を」の言葉が実際にどのように発せられたのかに興味が湧き、エントリーにも際に記したこの話の出典とおぼしき本をアマゾンから取り寄せてみた。ブルックナーのお弟子さんだったカール・フルビーという人が約一世紀前に書いた『ブルックナーの思い出』という出版物である。

アマゾンのダンボール箱が送られてきて手にした際にびっくりしたのだけれど、とても軽い。本の一冊は軽いのが相場だが、それにしてもと思った。出てきたのはこれ。40数ページの、ほとんどパンフレットのような薄っぺらい冊子で、普通の書籍を思い描いていた身には正直なところ拍子抜けである。

さらにページをめくってみて驚いた。なんと中身は古い本のコピーなのだ。古いというのはどの程度古いのかというと、最初の方に「ハーバード大学図書館 1941年12月3日」というスタンプが一緒にコピーされている。おまけに中身は古めかしいドイツ文字なのである。これには面食らった。

ドイツでは戦前までは普通のアルファベットではなく、伝統的なドイツ文字を使って出版が行われていた。この本は表紙のコピーに1901年という出版年が書かれてあり、どうやら、その当時の本をハーバード大学図書館が1941年に収蔵し、それをパブリック・ドメインとして公開しているということらしいのである。いやはや、こういうものがアマゾンで売られているとは思いもよらなかった。すごいものを買ってしまったものだ。

すごいと言いたくなるのは、古さだとか、大学図書館のコピーだったということもさることながら、自分にとっての最大のすごさはドイツ文字の本を買っちゃったよという点にある。僕はドイツ文字を習ったことも勉強したこともなく、ちゃんと読めないのだ。

ドイツ文字(フラクツール)というのは中世から使われている活字体であり、種類も一つではない。ドイツ語は辞書を引きながらならヨタヨタとは読めるものの、ドイツ文字については、そこまで勉強する必要性は皆無だと思っていたので50歳を過ぎる今まで知らぬ存ぜぬで過ごしてきた。ご存じの方も多いだろうが、このドイツ文字、とくに大文字が装飾過剰で読みにくく、似たような形が多くて門外漢には容易に区別がつかない。若いころならいざしらず、今さらこんなものを勉強したって記憶力の欠如がはなはだしい年齢に突入した身としては無駄以外のなにものでもない。

そう思って、パラパラと本をめくったときには、せっかく海の向こうから送ってもらったこの本は無駄な投資に終わったなあと、あっけらかんとした感想が降ってきたのだが、しばらくすると生来の貧乏性が顔をもたげてきて、このまま捨ててしまうのはもったいないと思い始めた。僕はドイツ文学の研究者でも何でもないので、ドイツ文字なんて読む機会がもう一度あるかと聞かれれば疑わしいのだけれど、これはもしかしたらせっかくの機会というシロモノかもしれないのである。ブログのネタとしては面白いかどうかは分からないが、ここで簡単にやめたら、あらゆることを簡単にやめてしまって前に進まないという事態は常態化するかもしれない。そういう心配が心を常によぎる年齢にもなってきたので、ここは少々無理とやせ我慢をしてみようと思った。

そんな次第である。