ホキ美術館探訪

連休後半の初日、千葉市は土気(とけ)にあるホキ美術館に遊びに行ってきた。

ホキ美術館は開館後2年を経過したばかりというできたてホヤホヤの美術館である。医療用品の会社であるホギメディカルが資金を出しているのか、あるいは経営者が私財を投入しているのか、その両方なのか、詳しいことはホームページを見てもあやふやだが、蒐集品はホギメディカルの社長の個人コレクションであるらしい。

この集められた絵画が見事に写実絵画ばかりである点がこの美術館の売りになっている。それも森本草介野田弘志といった日本人作家の作品にほぼ特化しているのがここの大きな特色。NHKの『日曜美術館』で紹介されるのをテレビで見て、一度は行ってみようと夫婦で話をしていた場所だが、今年の連休のレジャーをここでの絵画鑑賞と決めて足を運んできた。

横浜に住んでいる自分には千葉県とはほとんど何の縁もなく、成田空港、幕張メッセといった場所を除くと、訪れた経験はほとんどない。仕事に関係することを除くと、足を向けるのは津田沼に2度行った経験を数えるのみ。ディズニーランドも行かないし。ましてや千葉駅を超えるエリアは、個人的には未知との遭遇だ。

美術館がある土気という駅は千葉駅の先にある蘇我から枝分かれしたJR外房線が太平洋の荒波を望む外房エリアへと向かう途中にあり、駅の周辺は新興住宅地という言葉を絵に描いたような場所である。それまで田んぼと野原が目立った広い土地を大規模開発で一挙にベッドタウン化したピカピカの街が駅を中心に広がっている。東京のベッドタウン写実主義で描いてみたら、土気の街になるかもしれないという印象を漏らしたくなる。ほぼ同じぐらいの大きさの、綺麗な一戸建ての住宅が全体の統一感を無視して軒を連ねる街路をてくてくと歩くこと約20分。電車を乗り継いだ訪問者はこの新興住宅地の端っこ、昭和の森という巨大な森林公園との境目にある美術館に到着する。

下調べなしにグーグルの地図だけを頼りに出かけたものだから、こんな立地だとは思いもよらず、そこにびっくりしたのがこの美術館の最初の印象になった。リアルな箱庭風典型日本住宅の群れと、リアルなコジャレた外観の美術館がピッタリと寄り添っている。敷地面積いっぱいに建物が建っているのは、日本の都会に建てられた一戸建て住宅そのもので、なんともシュール。こういうのは公の写真には写らないようになっているので、行ってみないと分からない。

強い印象をもらった2つ目は美術館それ自体で、鑑賞者にとって大変見やすい美術館だった。建物はウナギの寝床を3つ、ほんの少しだけずらしながら重ねたような形状で、飾ってある絵は伝統的な写実主義的だが、建物は実にモダンだ。お客さんは長い廊下の形をした展示室を歩きながら、壁の左右に掲げられた絵を見ることになる。入り口は緩くスロープを登った一番上の階にあり、鑑賞者は3階下にまである展示室を、各階ごとに廊下を折り返すように歩くことになる。単純で分かりやすく、鑑賞者が疲れない、比較的小規模な敷地と展示スペースを有効に使った作りだ。内装もピクチャーレールがなかったり、照明が低めの天井に細かく埋め込まれた小さな電球から効果的・効率的に絵を照らしていたり、機能的にも、感覚的にも綺麗だ。

肝心の作品だが、ほとんどすべてが写実的な油絵の作品で、似通ったテイストの絵画を一箇所に集めてそれをじっくり見るのは面白いと正直思った。写実的な油絵というのは、常人の目から見ると一種の狂気の世界である。我々の脳はものを見ているようで、見ていない。見たいところ、見なければならないところを効率的に選び、必要最低限の情報処理をしているのが事実だから、写実主義的絵画、とりわけあらゆる細部を画面に定着しようとする細密画の試みには、常人の感覚を超えた、人間ならざる部分を感じて圧倒されてしまう。怖ささえ感じる。写実的な絵画を見る最も大きな喜びは、その人間らしい率直な驚きに出会えることにあるだろう。そうした心の動きに出会う場所として、ホキ美術館はユニークな施設だと思う。

展示室に足を踏み入れ、絵を見始めると同時に、我々鑑賞者は壁を埋めるリアルさの表現の束に圧倒される。「うわー」、「すげー」、「写真みたい!」という感想が沸き起こるのをとどめることができない。これは、普段そんな風に見ていないものを見て、絵画に定着させるという行為の非現実さに対する驚きの表現なのだろうと思う。もちろん、その上にあるのは描く技術に対する賛嘆なのだが、また我々の意識はまずは何よりも技術に向かいがちだが、写実絵画の驚きは、他のあらゆる分野の表現同様、深層に潜む、我々の心の普段は動かない部分を動かす力にある。

とすれば、展示室を並ぶ作品を見続けるに連れ、心の奥への揺さぶりという意味において、作品の善し悪しにはかなりの幅があるのが分かってくるのも自然なことである。また、写実といっても、作者のスタンスは人によってかなり違うということも気がつくことになる。こうした気づきは、これだけ同種の作品が並べられている環境があって初めて容易に手に入れられるものであるのは間違いなく、その意味でもホキ美術館は貴重な場所だと感じた。

はっきりと意識させられることの一つとして、先ほど「写真みたい」と書いたが、作家によってリアルさの表現としての、(一定の解像度を前提とした)写真にこだわっている人と、写真には容易に写らない類の生々しさの表現、写真を介在しないリアルさとでも言いたくなるようなものを技術の上で目指している人がいるなと感じた点がある。リアルといっても、虫眼鏡で眺めてわかるような現実を絵に封じ込めることには限界がある。とすれば、どのレベルの表現で本物らしさを追求するのかについての戦略が求められるようになる。作家に技術があれば、あるほど、そこではリアルさを表現することの戦略は問われるだろう。これは「リアルとは何か?」という問いにつながっている。

心理の深みから最も遠い、描かれているモチーフについて考えてみても、そこには写実主義とは何かについて考えさせられてしまう要素がある。写実住宅街の縁に張り付いた美術館がシュールであると言いたくなるのと同じ意味で、自分の日本人の奥さんにフランス製の夜会服を着せて絵にする作家の存在はシュールである。そこまでは言わなくても、綺麗なモデルさんを洋風のソファーにもたれさかけせたり、ベッドの上で素敵な着衣のまままどろませたり、フェルメールを意識させた室内に人物を置いたり、なんてのは絵を描くためにテーブルの上に林檎とバナナを置くのと大して変わらない凡庸な作為しか感じられないという意味で、この美術館はなかなか面白いものを見せてくれる。

ただ、そうした安易さの一方の極があれば、作家の創意や意味に対するこだわりが画面から放散される作品もホキ美術館では目にすることが出来る。それは何を描くかの問題であり、どう描くかの問題でもある。得てして「何を」の部分でマイナスの印象が残る作品が多く、やはり「どう」の部分がここに集う作品の共通のテーマであるという風に見えてくる。だから、職人芸の展覧という意味では質の高い、しかし、モチーフという点では実に色々な程度のものが飾ってあるのがホキ美術館ということのようである。

絵がお好きな方はぜひ一度はいらっしゃる価値があると思う。私も行ってよかった。ちょっと遠いので、二度目があるかどうかは微妙なところだが。


■ホキ美術館のホームページ