スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第9番、そして『テ・デウム』

東日本大震災でホールにぶらさがるつり天井が客席に落下し、世間の耳目を集めたミューザ川崎地震後の修復工事を終えて2年ぶりに再開した。今日はそのリオープニング・コンサートに出かけてきた。曲目はブルックナー交響曲第9番と『テ・デウム』。出演はミューザの座付きオケであるユベール・スダーン指揮東京交響楽団である。

私はミューザに来るのは生まれて初めて。ブルックナーの9番はそもそも生で聴くのは2度目なので、ホールも演目も楽しみにしてきた。とりわけ今回期待したのは9番と『テ・デウム』と組み合わせたコンサートであった点だ。『テ・デウム』はブルックナーの宗教曲としては一番有名な曲だが、滅多に生演奏に出会えない。20分少々の曲に合唱と4人の独奏者を揃える必要があり、相当の準備が必要だが、こいつを目当てにホールいっぱいのお客さんが呼べるかと言えば「そりゃ無理でしょう」という存在だし、これと合わせることができる曲目は、同じ作曲家の他の宗教曲か、この9番以外にはない。

9番はブルックナーの死によって最終楽章が未完で残された曲だが、作曲家自身が「完成できなかった場合には『テ・デウム』を4楽章の代わりに演奏をしてほしい」と喋ったと伝えられている。それをどこまで本気で言ったのかは判然としないものらしく、調声的に合わない2曲(9番がニ短調で、『テ・デウム』がハ長調)を一緒に演奏するのはどうよという思いは、おそらく演奏家にもあるだろう、実際に『テ・デウム』が代理第4楽章として演奏されるケースはほとんどない。それだけに、この2曲の組み合わせを聴ける今回の演奏会は興味津々だったのだ。生で実際に聴いたら、どうだろう?といちはやくチケットの発売日に手に入れたコンサートは、それ相応に面白かった。

一つ目の興味の的だったホールについて。席に着いたとたんに、舞台をらせん状の座席が取り囲む巨大な空間に圧倒された。こんなに大きいホールなのかとびっくり。座ったのは3階右手後方の席だったが、1階分の高さを十分にとっており、3階から見下ろす舞台ははるか下である。時間があったので、あちこちをブラブラしてみたが、舞台を横から見下ろす席は、奈落の深みを見下ろすようで、高所恐怖症の人はとても座れそうにない。

音はたしかによいと思った。3階の遠い席なのに舞台で練習しているフルートの音が大きくすぐ近くで聞こえる。よく音が通るホールだ。ホールは座席で音が違うので、私が座った席の印象がどこまで普遍的にあてはまるかは分からないのだけれど、くっきりとしたハイファイ調の響きである。音の分離が良くて、パートごとの動きがよく伝わってくる。オーディオで例えると、B&WELACのよいスピーカーで音楽を聴いているよう感じだ。アンプならアキュフェーズか、高品質のデジタルアンプといったところか。大音量でも音がキンキンしないところは素晴らしく、ここと比べると音が丸くなるサントリーホールはロジャースやタンノイで音楽を聴くようなものかなとの感想が湧く。そんな現代風な音のよさを備えたホールだが、ただ、ちょっと音は硬い。また私の席からは視覚的にも隠れ気味のコントラバスティンパニは抑制気味に響き、ハイ上がりのオーディオ風だった。もう少しいろんな席で聴いてみたいホールだ。悪くない。ただ、ブルックナーを聴くホールとしては、やはり少々硬すぎると、保守的リスナーは思ったりする。

演奏の印象については、ホールの音調に私の気分が影響された部分がどれだけあったのかは分からないが、とろっとしたところのない、楷書のブルックナーだった。これは、先日、同じコンビで6番の交響曲サントリーホールで聴いた際にも感じたことなので、ホールの問題ではないだろう。スダーンはメロディをしっかりとつないでいくという点で、常に音楽の前向きな進行にリスナーの関心が向くような演奏をする。感情の起伏はフォルテの方向に寄っており、弱音を神経が切れそうな集中力で表現したり、死の匂いを含むような9番の暗鬱な側面を全面に押し出すような解釈とも無縁である。スダーンの解釈、東響のくっきりとした演奏、ホールの音調とが相まってホール再開を祝うに相応しい祝祭的な9番だったといって差し支えないだろう。とすれば、元気のよい『テ・デウム』が実にはまったのは流れとして当然といったところか。

とてもよいコンサートだったけれど、東京交響楽団の事務局には苦言を呈したい部分がある。9番と『テ・デウム』の間合いのマネジメントについてだ。

会場に到着した我々聴衆は、2つの曲が「休憩なし」で続けて演奏されると知らされた。つまり、伝えられるブルックナーの言葉に即し『テ・デウム』を未完の第4楽章の代わりに演奏するという意味合いをはっきりと打ち出した演出を指揮者が取ろうとしたということである。であれば、事務方は演奏の始まる前に「2曲は続けて演奏されるので、曲間の拍手は遠慮してほしい」というアナウンスを我々聴衆に向けてきちんとしておくべきだった。9番と『テ・デウム』のいわれを知っているお客さんは多かっただろうが、そうではないお客さんも少なくはなかったはず。だから、9番が静かに終わった瞬間の、フライング気味に始まっていったん途切れ、再び始まって尻つぼみになった拍手は興ざめ以外のなにものでもなかった。「休憩はありません」だけでは不親切だったですよ。

それから、日本のオケのコンサートとしては珍しいことだが、コンサートの冒頭、入場する団員の皆さんに向かって万雷の拍手が送られた。「ミューザにお帰りなさい」というファンの皆さんの拍手だったのだろう。


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