クラウディオ・マグリス著『ドナウ ある川の伝記』

欧州の大河、ドナウ川の流域にはさまざまな国、さまざまな文化、さまざまな人々が生きてきた。総延長3千キロという果てしない距離と、古代から現代に至る時の流れの、さらなる果てしなさを視野に入れると、果たしてどのような物語がそこに出来するのか。イタリアのドイツ文学者、翻訳者にして作家であるクラウディオ・マグリスが、この問いを投げかけ、自ら答えたのが『ドナウ ある川の伝記』である。

よい本が必ずそうであるように、『ドナウ』は先行するどの本にも似ておらず、我々が普段耳にし、目にする常識とは異なる何かを含んでいるという印象を与える。ジャンルに分類するならば、疑いなく紀行文と呼ばれる類の本。ドナウの源流を皮切りに、黒海に至るさまざまな土地を著者がめぐりながら、過去に思いを馳せるというスタイルを見る限りは、我々がよく知っている『奥の細道』と相通じる部分があると言ってもよいだろう。

ただ、マグリスの旅は桁違いに大きく、そこに繰り広げられるトピックスは千差万別の趣がある。地域ごとにまとまった9つの章にちらばる160もの物語(長いものは数ページにおよぶが、短いものは数行で語られる)は、詩情と博覧強記の見本である。あるときはデカルトハイデガーセリーヌカフカムージルといった、我々に馴染みの文化人を取り上げると思えば、あるときはナポレオン、ヒトラールカーチという政治家が登場する。と思えば、誰とも特定できないマグリスの知人が語りだし、土地のおばあさんが心に響く皮肉を投げてよこす。マグリスはハプスブルク朝のオーストリアを専門領域とする学者なので、18世紀、19世紀の歴史的事実が数多く語られるが、著者は容赦なく古代から現代へ、中世から近代へと話題を渡り歩き、旺盛な好奇心の運動は止むことがない。ときに有名人の話が語られるとしても、総じて平均的な読者にとっては、知っている名前はごくわずかであり、初めて目にする人の名前が最初から最後まで頻出する。

それにもかかわらず、そうした私やあなたがまるで知らない誰かの話がまるで退屈に感じられず、読み進めるのにあたって何の障害にもならないのは、この本が歴史や文学の専門家のためのものではなく、普通に読者に向かって万人にとっての真実であるところの人生を語ることを目指しているからだ。あらゆる固有名詞はそれ自体が重要なのではなく、彼らは常に脇役でしかない。グリルパルツァーを知っていたり、シュティフターの小説を読んだことがあったりすれば、本書への興味はさらに深まるかもしれないが、マグリスはそんな我々の知的自尊心をあざ笑うかのように、到底知っている人がいるとは思えないあらゆる土地のあらゆる名前を次々と繰り出す。さらに歴史には決して名を残すことがない市中の人々をそれらのビッグネームに紛れ込ませる。

原著が上梓されたのは1986年。ベルリンの壁が崩壊したのが1989年だから、マグリスはまだ鉄のカーテンが降りていた時代のドナウを、資本主義と社会主義の垣根を超えて旅をしていたことになる。当然旅の現場では、そのことにまつわる数多の苦労や感想が渦巻いていたはずだと想像できるが、彼はそうした彼がいる時点での政治的エピソードについてはほとんど何も語っていない。あたかもナポレオンのウィーン侵攻を語るように、チャウシェスクによる豪勢な宮殿の建設を語ることがあったとしても、それは時の流れに耐えうるエピソードであると著者の感性が認めた例外に属するのである。

おそらく、そうすることによって、東西冷戦が熟爛していた当時の緊張感の中でこの本を読んだ当時の読者には、体制を無視して流れるドナウの姿、東西をまたいで広がるパンノニア中欧)の姿がリベラルな政治的意図を伴ってくっきりと見えたのではないか。そのようにして、21世紀の読者である我々も、マグリスの常套手段である、語らぬことによって語るわざ、あたかも日本の王朝文学のようなほのめかしの数々に刺激され、時空を超えたドナウを旅する。ドナウとは何であるか。読者は自ずと自身に問いかけるだろう。

クラウディオ・マグリスは、ノーベル文学賞の候補に何度もノミネートを噂されてきた人物らしいが、本書はそのマグリスの主著として二十数カ国で翻訳をされてきた、世界で知られた著作である。これだけの本が、なぜに我が国では紹介されて来なかったのか、不思議といえば不思議だが、要するに、きちんと商売気がある(つまり、この固有名詞と歴史的事実がつまった分厚い一冊と長い時間格闘する困難に恐れをなした)出版社がたくさんあったということなのだろう。

本書の翻訳は、原著のイタリア語からではなく、ドイツ語版からの重訳である。肝心の翻訳者は、本書にも登場するカフカやカネッティ、ゲーテなど数々の名訳で知られる独文翻訳のスター、池内紀さん。この『ドナウ』でも、さすがの名調子を堪能できる。それはマグリスが池内さんの声色でしゃべっているといいたくなるくらい。

欧州の歴史が好きな人や中欧に興味がある人も本書のターゲットであることは間違いないだろうが、本当の読者は、しばしの時間、長い物語世界に沈潜し、たゆたいたい、そんな体験を与えてくれる本に久しぶりに出会いたいと望んでいる古くからの文学好きに違いない。4千円をはたいて本書を手にする人は、そんな人たちの誰かということになるんだろうと思う。

それからもうひとつ。本書のカバーは著名な若手画家の山口晃さんの手になる。きちんとゲラを読んで、本の中に登場するエピソードを山口流の想像力とタッチで書き起こしたイラストは、眺めていて飽きることがない。新聞の書評欄は朝毎読のいずれもが無視をしたが、日経には東大教授の池上俊一さんが素晴らしい一文を寄せている。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO43774330U2A710C1MZB001/



ドナウ ある川の伝記

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