スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第6番

スダーンと東京交響楽団によるブルックナーを聴くのは2度めのことだが、前回同様、申し分のない演奏で、心から楽しんだ(12月2日、サントリーホール)。

第1楽章のテンポ設定、3楽章と4楽章のバランスなど、指揮者の解釈がモノを言う曲であり、ブルックナーの中でこれほど演奏によって構成観が異なる曲も珍しい。スダーンの解釈は、この曲に表現される強さを聴く者に強くアピールするもので、勢いよく音楽が流れていた。8番を聴いた時にも思ったことだけれど、このコンビの演奏は納得感の高い中庸のテンポの選択、これみよがしなところがない質の高いアンサンブルがとても気持ちよい。音響はきれいなピラミッド型を志向する。これでドイツのオケのように、ここぞというときに深いところを覗くような、凄みのある響きが乗れば言うことはないのだが、それは典型的な無いものねだりというべきか。

とは言え、ブルックナーの6番は聞き手にとってやはりやさしい曲ではない。演奏がしっかりしていればしているほど、曲に向かい合う条件が揃えば揃うほど、この曲は分かりやすくはないという印象は深まる。シンコペーションのリズムが特徴的な第1楽章、ある瞬間にシベリウスを彷彿とさせる第2楽章など、前半で示される意志の力とリリシズムは実に素晴らしいと思う(両楽章ともにオーボエのメロディの美しさは忘れがたい)が、第3楽章、第4楽章はモチーフが料理されきれていないというか、あまりに知が勝って素直な流れが阻害されているという感じはどうしても残る。大作曲家を相手に真砂の砂の一聴衆が言うことでもないのだけれど。

このコンビでのブルックナーは聴いて損しないとあらためて思った。


■スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第8番(2010年12月4日)