旅の空

ブログの仲間の木下さんがネットを活用して仕事をしながら奥さんと一緒に世界旅行をしている様子が、ほぼリアルタイムで報告されています。若い頃じゃなきゃとてもできない長丁場、ロング・ジャーニーです。フィリピンに始まってタイ、スリランカ、ドバイを経てヨーロッパに渡り、イタリアからオーストリアを経て、ドイツ、チェコまでやってきた木下さん。ちょうど100日が経ったタイミングで、旅の感想が語られています。これがとても面白かった。

■旅を始めて、だいたい100日が経って(『半旅半働』2012年9月18日)


それなりに外国でも生活できる実感を得た木下さんは、続けて次のように語ります。

その反面、限界も感じました。現地の言葉を操れないまま数週間滞在しても、その国への理解や関係性の深度は一定のところで止まる。国を移れば、新しい光景には出会える。感動もある。でも、最近は何か物足りないような感じがする。まだ見ぬアフリカや南米の地を訪れたとしても、この不足感は消えないよなぁ、と思うようになりました。

この感じですね。旅は旅にすぎないという感覚。若者の旅って、最終的にその感覚を獲得するための行為であるような気がします。だから、木下さんは正しい。その無駄は無駄ではないという逆説。旅ってそういうものですよね。

自分の話をすると、私はパリに行くたびに木下さんが語る「現地の言葉を操れないまま」という感覚を覚えました。パリは「華の都」、私も20代から30代にかけて旅行や出張で何度か訪れ、訪れるたびにその美しさに魅了されましたが、同時に、行くたびに隔靴掻痒の感に囚われる。それがパリでした。話は簡単で、言葉がわかんない土地に行ったって、面白さは半減どころの話ではない。結局のところ、人生の楽しみは人との交わりなのですから、それが出来ない土地にいたって、ほんとの楽しさなんてありません。フランス語が出来ない私には、パリに行けども、そこにパリはなしという感覚。あるいはパリはそこにあれども、私はそこにあらずという感覚。ミラボー橋の下、セーヌは流れるとしても、私はその事実を日本語でしか理解できないという事実。

もうひとつ、木下さんと奥さんの旅のブログで私個人に響いたのが、ローテンブルクの街の報告があったことでした。22歳のとき。5ヶ月の間、そこでドイツ語の勉強をした街がローテンブルクでした。それはそれは懐かしい場所。青春時代の数カ月は、中年の数年にも匹敵する重たさがありますから。

ちなみにちょっとだけ薀蓄を付け加えたくなったのですが、木下ブログでロマンチック街道の白眉、ローテンブルクは先の大戦で破壊されていないという話が書かれていますが、実はこれは美しい誤解の類なのです。連合軍の空爆によって、ローテンブルクも街の7割が灰燼に帰しています。日本では、その事実はほとんどどこにも紹介されていないと思うのですが、ドイツ語の文献を読むとそのことははっきりと記されています。

旅は面白い。旅は楽しい。そう思います。