インドでわしも考えた

昨年の10月にインドに行きました。生まれて初めてのインド。生まれて初めての日本以外のアジアでした。百聞は一見に如かずと言いますか、聞きしに勝ると申し上げますか、経済が元気な国の人々の活気にはいわく言いがたい迫力を感じました。初めて見る国土の色合い、広さ、街にあふれる人と犬の多さ、日本のそれとは異なる町中の匂い、人々の眼差し、声高にやりとりされる言葉の強さ、それらのどれもが刺激に満ちていましたが、まあ刺激という意味では、初めての外国は例外なくそういうものだと思います。

人々の静かな佇まいの中に受ける刺激(そういう刺激はあると思います)とは反対の、旺盛なインドのエネルギーをどこでもっとも強く感じたかと言えば、目よりも耳、人々との会話の中でだったと思います。ある企業の女性管理職の人と、仕事を終えた後のざっくばらんな雰囲気の中で会話をしていて、その人個人の生活の話になり、家族の生活水準や女性の社会的地位の向上に関する実感や期待があちこちに散りばめられているのを聞くと、成長の途上にある国の個人の心持ちと、坂を登り切って息を切らしている国の住民である私のそれとの、平常心の張り詰め方の違いは明らかなのでした。もちろん、その人がビジネスパーソンとして脂が乗っている40歳過ぎ、私個人が50歳を超えて未来に希望がたくさんある年齢ではなくなっているということも事実としてはあるのですが、日本で出会う年若い人たちのことを頭に思い描いても、というか、むしろ思い描かざるをえない中で、私たちの生きる場所としての日本の元気に思いを致したのでした。

インドで聞いた未来への期待は、かつて私たちが子供の頃、社会人を始めた頃、中年にさしかかった頃、それどころか中年が深まりかけた数年前にすら常に携えていた感情であるはずなのですが、今やそれらは過去の記憶の中に反芻するものとなっていることをインドでの人々との会話で実感させられた風でした。実力や適性のある若い人たちがアジア各地に向かっているのが、自分なりに腑に落ちました。

自身のことを考えても、国内の友人、知人たちのことを思い起こしても、実に多くのケースでなかなかに人生は思い通りに運ばず、呻吟や嘆息に満ちています。そして、そのことと経済の現状とは直接につながっています。いったい、こうした世の中で、いかに正気で、よき、楽しき人生を送っていくことができるのか。リーマン・ショックの後、さらに昨年3月11日の後、私は自分自身に対してこういうバカ丸出しの問いかけをし続けているような気がします。よい考えはほとんど何も浮かびません。あれか、これかと、ない知恵の引き出しから選択肢を引き出して並べてみたりもしますが、どれも大してよい考えだとは信じられず、自分の脳味噌はますます動きが鈍くなるような気がします。お気楽にブログを書き散らかすのも、自分に対して気がひけるような気分がして、すると、さてその自分とは何なのかと問いかけたりするのですが、そうした無限後退に近い気分に歯止めをかけるためには、こうしてともかくも何かを文字にして公表するというのが、やはり一つの手かなと思ったりするのでした。