大理石の海

締め切りに追われる夢をみた翌日の未明、目覚ましに起こされた際に浸っていた夢は、その明け方間近の時刻に同期したかのような平明さを湛えていた。

そこはさして大きくもない湾が弓型に広がる海沿いの土地である。私はその海辺を歩いている。山がちの土地に接するその場所は海であるには違いないのだが、夢の中のそれは象牙色にまっ平らに広がり、よく見ればそれは一面の大理石、あるいはそれに類した磨かれ、広大な延長を持つ石の床なのだ。北京の天安門広場であるとか、モスクワの赤の広場であるとか、いずれも私が行ったこともない、でもテレビではしばしば目にする人工的なスペースを思い起こさせるような光景。未明の空も大理石の色そのままで、しかし湾が尽きる辺りは太陽の予感に白く輝いているようでもある。

その大理石の海に静かに何艘もの船が浮いている。浮いているというのか、置かれているというのか、それらは立派な観光船であったり、それほど小さくはない輸送船であるのだが、お互いの邪魔をしないようにしているかのような、それぞれが絶妙の間隔をおいて、石の海の上に音もなく泊まっている。

その風景を眺めながら海辺を歩く。よく見ると、水がないと見えていた海は透明な膜のようなもので覆われており、それはやはり海なのだと納得する。永遠を画に描いたような、人っ子ひとりいない風景は、iPhoneの無粋なバイブ音にあっという間に掻き消えた。