佐渡裕さんがベルリン・フィルデビューで履いた下駄

昨年5月、佐渡裕さんがベルリン・フィルハーモニーの定期公演にデビューした模様をNHKがドキュメンタリー番組に仕立てて放送した。最初に放送されたのは6月。それとは別に演奏会それ自体の放送もあり、僕はたまたまそのどちらも観ることができた。

そのドキュメンタリーの最後に、地元紙の演奏会評の一部が番組を締めくくるように簡潔に紹介された。「大勝利」「デビュー指揮者に対し、これほどまでにベルリン・フィルが献身的になるのはそうあることではない」という風なナレーションがつき、新聞の活字が画面に映る。昔は佐渡さんの追っかけをやっていたという知人のKさんは、「昔とまったく変わらない演奏」と覚めた表情だったが、佐渡さんをほとんど初めて聴いた僕はオーソドックスかつエネルギッシュな演奏は悪くないと思ったから、そうした批評が地元の新聞に載ったとしたらすごいし、ありえないことではないと思ったのだった。

日本人が国外で活躍する様子には身びいき的な興味が湧いてしまう僕は、ネット上で当の新聞評を探してみた。すると、放送で紹介された部分については、実際にはこうした文章だった。

Nun ist Yutaka Sado gerade 50 geworden, und sein Debuet bei dem Orchester seiner Jugendttraeume geraet ihm zu einem Triumph. Das ist bemerkenswert, weil die Philharmoniker nicht jedem Debuetanten mit solcher Hingabe folgen. Und auch, weil sie nach den vier Abbado-Konzerten keine Erschoepfung gelten lassen. Es erklaert sich aus den bei vielen Begegnungen und Tourneen erworbenen japanisch-deutschen Musikerfreundschaften.
(Ertraeumt: Yutaka Sado mit den Berliner Philharmonikern, Tagesspiegel, 21.05.2011)

訳してみると、だいたい次のような感じである。

いま佐渡裕はちょうど50歳になったわけだが、子供の頃の夢であったこのオーケストラへのデビューは彼に一つの勝利をもたらした。これが注目に値するのは、どんな新人にもベルリン・フィルはそこで見せたような献身を示すわけではないからであるし、さらに、アバドが指揮した4つのコンサートの直後であるにもかかわらず彼らが消耗した様子をまるで見せなかったからでもある。このことは数多くの邂逅と演奏旅行によって育まれてきた日本とドイツの音楽上の友好関係をよく表している。

非常に好意的な評であることは間違いないにせよ、最後の文章の存在はこのパラグラフのある種の肝である。ウィーン・フィル同様、ベルリン・フィルにとって日本と日本人には特別の感情が存在するというのは間違いないらしく、彼らのホームページに掲載されていた昨年のアジアツアーの様子を紹介するブログでも、著者の楽団員は「我々の第2の故郷日本に着いた」というようなフレーズを書いていた。

新聞の批評子は、そのことをきちんとわきまえて、オーケストラの佐渡さんへの献身は、つまり日本に対する献身なんだよという彼自身の見立てを示しているわけだ。記事のタイトルは「ertraeumt」で、これは「夢を見る」だとか「憧れる」という意味の動詞の過去分詞。「見続けた夢」とでも訳すのが妥当で、佐渡さんが子供の頃から「ベルリン・フィルの指揮者になる」と言っていたという枕の一文がその由来である。日本人が褒められると嬉しくなる単純な性分の僕にはとてもありがたい記事だと感じられたが、さはさりながら、NHKの番組で紹介された佐渡さん個人を絶賛する記事を読んでみようという最初の意図からすれば、これは思わぬ腰砕けである。部分を切り抜いた上で「その限りでは嘘ではありません」と言われているようで、そういう編集をするのかと思うといい気持ちはしない。

佐渡さんの名誉のために付け加えておくと、このあとにも演奏に対する賛辞は続いており、ターゲスシュピーゲル紙の批評が基本的に好意的であることは疑いもない。

Was in dieser Auffuehrung zaehlt, ist die Intensitaet des Klanges, die das Orchester dem Dirigenten mit groesser Aufmerksamkeit entgegenspielt, Walzerspass operettenfroh, bestes Pizzikato, ruhiges Largo. Eine Interpretation voller Saft und Kraft.

この演奏で指摘すべきは、オーケストラが高い注意深さでもって指揮者の要求に対応していたその響きの強度であり、オペレッタ風陽気さを示すワルツの楽しさであり、最良のピチカートであり、静寂のラルゴである。活力に満ちた解釈であった。

ドイツ語の理解に少々怪しいところがあるのはお許し頂くとして、だいたいこんな感じである。まったくもって悪くない。それどころか素晴らしい評価だ。ただ、インタビューに応じるベルリン・フィルの楽員さんたちが、「新人指揮者のために演奏してあげる」という余裕しゃくしゃくの様子だったのがNHKの番組で如実に見て取れたように、この演奏会評も演奏の良さは認めながら、それを指揮者の実力の故と言っている訳ではないのもまた事実だろう。

ぜひこのコンビで次の演奏会も聴いてみたいと思うが、それはいつどんなプログラムで実現されるのか興味津々ということろである。