「凶」の新年に

連休のなか日の9日、北鎌倉駅から短いハイキングコースを歩いて長谷寺に遊びました。おみくじを引いたら、新年早々の「凶」でした。ネットで情報を拾ってみると、「凶」の比率はところによってかなり違うようです。場所によっては、3割が「凶」というところもあるようですが、1割に満たない神社・仏閣もあり、これはありえることですが「凶」を意図的に除いている場所もあるとか。
僕の引いたものには「慌てて旅立とうとしても、港には船はいない」と書かれていました。「悦び事」は「なし」。「待ち人」は「来ず」。「旅立ち」は「悪し」。「望み事」は「叶わず」。メタメタですね。唯一、なぜだか「勝ち負け」だけが「勝つべし」だったのは、せめてもの慰めでしょうか。しかし、喜びはなく、待ち人は来ず、勝負だけ勝つってのは、なかなかハードボイルドな一年が待っていそうな気配です。こういうとき、村上春樹の主人公なら「やれやれ」と呟きます。

おみくじの威勢のよい断定を目にすると、普段は神仏にまるで関心がない罰当たりなくせに、さすがに新年の気勢をそがれるものです。というよりも、「凶」の文字をこの目にすると、何か本当に禍々しいものに出くわしたような気分になるものだなという実感を得た新年でした。文字の持つ力かなと思いました。

文字の持つ力といえば、その前日には、自転車を駆って茅ヶ崎市美術館に「開高健とトリスな時代〜「人間」らしくやりたいナ」という展覧会を観に行きました。id:mmpoloさんから開催を教えていただいたのでした。

よく知られているように、芥川賞を取り本格的な作家活動を始める前の開高は、サントリーの宣伝部に所属し、そうした言葉がまだ存在しない時代にコピーライターとして活躍して数多のフレーズを広告媒体に吐き出していました。その時代を中心に、彼の交友関係、人となり、当時の活動を明らかにする原稿、広告、アート作品を集めた催し物です。共催である高健記念館でも人気作品の自筆原稿が数多く展示されており、ファンにとっては涎が出る内容でした。理屈じゃなく、行ってよかったと思いました。言葉と文字には、やはり宿っているものがあるようです。手書きの原稿をまじまじと見つめていると、何かが立ち上がってくる。その存在感には人の持つ気に近いものがあると思いました。こちらにそのつもりさえあれば、モノとの間でも人はコミュニケーションができる。ある種の生身の人間とよりも上手にできるかもしれません。そう言ってしまうのはナイーブに過ぎると聞こえるか、その反対に皮肉がすぎると聞こえるか。まあ、どっちでもいいかもしれませんけど。


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「一言半句」というフレーズを好んで使った開高は、音程の微妙な違いを聞き分ける音楽家のように、言葉の持つニュアンスに神経症的な注意力を傾ける作家でしたが、カイコー大兄が「凶」のおみくじを見たらなんとおっしゃったか。かの声高な大音声でどんな一言を捻り出したか、などと想像をめぐらす新年となりました。
茅ヶ崎市美術館の展覧会は、この週末まで開催です。




長谷寺の仏足石には、可愛らしいお餅が供えられていました。