野良猫の本の話

野良猫の本を読んだ。自分の勤め先でつくった本だが、企画されたのは僕がいまの職場に勤めるかなり前のことで、どんな内容の本なのかまるで知らなかった。薄い本だし、軽いエッセイだろうと思っていた。

しかし、読んでみると、これがなかなか読み応えがある。著者は東京は谷中で開業している獣医さんで、この方が獣医として、また住民として見た野良ネコの姿が、その生態から人とのつきあいに至るまで多面的に紹介されている。

僕は犬も猫も飼ったことがなく、この著者が住む谷中、西日暮里といった地域が猫の街として有名だということも、この本で初めて知ったというくらい、この辺りのことについては門外漢だが、著者の野良猫に対するスタンスは絶妙と思える。獣医さんだから、そもそも動物は大好き、その辺りの下地はしっかりと見える。多数収録されている猫の写真についているキャプションが被写体である猫に対してとてもやさしく気持ちがよいのに、著者の人柄が素直に表現されている。

それでいながら、著者は野良猫を甘やかすような接し方に一貫して警鐘を鳴らす。野良猫の問題は、猫と人との問題であるのと同時に、猫好きと猫嫌いとの問題であるし、猫を甘やかす猫好きと猫を地域の問題として解決していこうとする猫好きとの問題であると著者は考えている。そこでは、動物、人間という境目を超えた、自らと他者との距離の取り方、つまり社会生活のあり方の問題が、単なる理念としてではなく実践の場として問われているということであるようなのだ。

著者はこんな風に書いている。

そもそも私の記憶では、1980年代半ばごろまでは、谷中の階段(現在は「夕焼けだんだん」と呼ばれている場所)だって、おでん屋の屋台に白ネコが一匹いるくらいで、情緒はあるものの、とりたてて人目をひかない、どこにでもあるような町なみだった。
振り返ると、伝統的な地域社会のあり方が少しずつ変わり、個人の存在だけが表に出るようになってきたのが80年代だったように思う。「ネコに餌をやる」にしろ「餌やり反対」にしろ、ひとつ地域に住んで自己の主張を貫きたいのなら、まず意見交換し、相手の意見も尊重しながら調整しなければならないのに、いつしか、調整役も、意見交換の場もなくなっていた。これは何か、新しい問題に発展するのではないかと直感した。

自己主張だけがあって、意見交換ができない、調整ができないというこの国の人のつながりの実態が、かわいい猫の話題にくっついて出てきたのに正直びっくりした。猫の問題の深刻さも少しは理解できたような気がする。要は「他人と挨拶できない日本」が、ここでも問題を深刻にしているわけである。そうした人間の社会の社会性の欠如こそが問題の根っこにあると言ってもよいくらいかもしれない。

日本固有の色彩に彩られる都会の野良猫と人との共生の問題は非常にやっかいで、解決には一筋縄でいかない部分もあり、時間もかかる。それでも諦めずに物事を勧めようとする一部の人々の気持ちと実践が、この分野で成果を挙げているのを教えられた。やはり、どんな場所でも根気と継続は物事の土台である。野良猫の生活を楽しく気楽に読んでいたら、思いもよらない場所に連れて行かれ、地味で拍手とは無縁のところで発揮されている勇気を見せられた気になった。

ちりばめられている猫の写真は、文句なくかわいい。


のらネコ、町をゆく (NTT出版ライブラリーレゾナント054)

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