夢試合

末の息子が最後の夏に出場した高校野球の県予選。試合は中盤に逆転を許し、終盤にだめ押しの追加点を奪われて、一瞬見えたかに思えた二回戦の夢は、けっきょく真夏の夢とついえたが、我々夫婦、長男ばかりでなく、家内の両親、それに赤ん坊の頃から子供たちをかわいがってくれた叔父まで駆けつけた試合は、これ以上ケチのつけようがない夢の時間だった。




二日前の練習試合、昨日の最終練習で結果を出せず、試合はベンチでの応援を覚悟していた息子は、思いもよらなかった全イニング出場を果たしたうえに、レフト前ヒットと二つのフォアボールで3度塁に立ち、そのうちの2度ホームを踏むことができた。「野球では、もう思い残すことはないな」と本人は満面の笑み。




息子も、父母会でチームを見てきた家内も、しかし二言目に口をつくのは、一緒に3年間ほとんど毎日練習をしながら、けっきょく出場の機会がないままに終わった何人もの同級生たちの存在である。高校のスポーツに、その種のお情けをかけるのは無意味であると考える向きもあるだろうが、力量はほとんど変わらないA君とB君との間に、天と地ほどの体験の差が生じてよいものなのか。疑問の出所は、それを決めるのが全権を握った指導者であるという事実であり、納得のいくか否かは、彼がどこまで彼自身の権力について思いをめぐらしているのかという点にかかってくる。とまれ、すべての球児にとって、“球児の夏”には終わりが待っている。そして、彼らの人生の夏はこれから始まる。まぶしいというほかはない。