子供の野球

明日開幕する高校野球の神奈川県大会。末の息子が高校球児として参加する最後の夏が始まる。あけて月曜日にはすぐ試合が予定されており、四十数人の部員の中で、なんとか背番号9をもらった息子は、うまくいけば最初で最後になる夏の大会の打席に立てることになりそうだ。

対戦相手は、公立高校ながら評判の好チームで、客観的にみれば息子のチームが2回戦に進む可能性は高いとは言いかねる。子供3人のスポーツ観戦でしこたま遊んだ総仕上げである。忙しさのさなかなのだけれど、勤めを休んで応援に行くことにしている。

一昨日、「山本弘展」を見た後で、mmpoloさんと歓談をした際、mmpoloさんから「今、人生が終わっても思い残すことはない。中山さんはどうですか」と尋ねられた。月曜日の試合は観たい。その後は、自分の楽しみをそれなりに尽くしたという意味では、もう惜しくはないかもしれない。まあ義務の方はまだまだ残っているから、そう簡単に退場はできないのだけれど、自分のことだけを考えるのであれば、十分に満足していい人生だと考えないと罰が当たる。

ニューヨークに駐在していた頃、幼稚園に上がる直前に、立派なリトルリーグ用の球場で、ティーの上に乗ったボールを盛大に空振りしていた息子は、小学校2年生で日本に帰国してから少年野球を始めた。それは彼が日本の社会に適応する大きな力になったと思う。僕にとっても、子供の野球見物は再適応の大切な機会になった。その後、成長途上の肩の不調で医者から止められ、中学校で野球ができなかったために、自信満々で入部した高校の野球部では、息子は一番下手なプレイヤーの一人から再出発をすることになった。2年半の浮き沈みに一喜一憂した野球一筋の高校生活。その最後を見届けに行く。家内ばかりでなく、いつもは来たことがない大学生の長男も「授業をサボって見に行こうかな」とつぶやいている。家族とは、他人からみればどってことない出来事を、自分たちにとって大切なものとして共有できる単位。そのことによって、人生の持つ積極的な意味を理解するための装置である。

今日はこれから最後の練習試合見物に出かけてくる。