下位の知性とやる気が組織を作る?

二日ほど風邪でへばっていました。

藤井直敬さんの『つながる脳』の話をもう一度だけ。
昨日少し紹介したサルを使った実験にまつわる感想の続きです。二頭のニホンザルの間に明確な順位があって、順位が低いサルが絶対服従の姿勢をとることは、この本を読む以前にも知識としては頭に入っていました。昨年の夏、大分の小野さんに高崎山に連れて行ってもらったのですが、我々観光客を前にして公園のスタッフは面白い実験をしてくれます。えさをくれるスタッフのそばにやってきた群れの順位第2位の雄は、最初我が物顔にふるまいますが、順位第1位の雄が現れるといままでと同じ人物とは思えない、猫をかぶったサルに豹変します。スタッフが二匹の真ん中におやつのピーナッツを置いても、第二位は決して手を出すことをしません。

私が自分自身に対してひどく驚いたのは、その様子を強烈なイメージとして目に焼き付けていたにもかかわらず、私には「下位の“知性”」がその関係を構築しているなどとは、かすかに想像することすらできなかったということです。このことを、藤井さんは実験結果に基づいて科学的に説明してくれます。なんというべきか、うまく説明しにくいのですが、豊かで深い知性が、こうしたことを一つ一つ解明していくのだな、と私はあらためて当たり前のことを悟らされた気持ちになりました。

それはさておき、昨日は書かなかったことですが、藤井さんは同じ実験の結果として抑制によって秩序をかたちづくる下位の機知が組織・社会の変動をもたらす要因であることを示唆してくれます。私たち素人にとっても面白い実験結果の記述です。具体的な内容はどうか直接本に当たってください。私たちは社会や組織の問題を統治の問題、上位の問題、皇帝の、国王の、大統領の、社長の、部長の問題として考えるのがある意味で癖になっています。ところが、この本を読んでいると、『君主論』や『統治論』や『アイアコッカ―わが闘魂の経営』、その他のあらゆる統べる理論とは異なる社会形成の記録の系譜が存在している(いた)はずだという思いにとらわれます。同時に、我々が暮らしているこの社会でも、実は下(と真ん中)が組織の実態を作っているんじゃないかと、なんだか嬉しくも怖い気分になってくるのです。少し前に、「真ん中が悪い」という中途半端なひとことエントリーで言いたかったのは、このことでした。