藤井直敬著『つながる脳』

今日は、「です・ます」調を用い、少し遠慮がちに、自分の会社でつくられた本の話をしようと思います。「だ・である」でいくかと思えば、突然「です・ます」と、まあいい加減なブログです。それで誰も文句を言わないところが、なんでもありなブログのいいところですね。

今日ご紹介するのは藤井直敬著『つながる脳』という本です。「脳」とつく本がやたらと多い今日この頃ですが、お察しの通り、この本の著者も脳学者、東北大医学部で博士号を取り、マサチューセッツ工科大学でキャリアを積んだ後に日本に戻り、現在は理化学研究所で仕事をなさっている40代半ばの第一線の研究者の方です。

これは意表をつく本でした。どういう意味かを少しご説明することで、今日のエントリーとこの本の紹介とさせていただこうと思います。

私はこの本の企画が会社の中で検討されていたときに会議の席にいて、企画が承認される様子を見る立場にいたのですが、営業は控えめに言って“ものすごく乗り気”という雰囲気ではありませんでした。担当編集者の説明を聞くと、何が書かれようとしているのかはなんとなく理解できるのですが、それがいったいどれほどの価値があるものなのか、ほんとうのところは出版社の営業担当者に分かるわけがありません。いや、たぶんに担当編集者だって、十分な確信があっての企画なのかどうか。

もちろん、編集者は得意分野があって、その分野に関する知識はかなりのものがあります。その分野の専門家とも幅広くおつきあいをしてもいます。でも、しょせん編集者は研究者ではありませんから、必ずしも学会の最前線の深い議論を理解しているとは限りませんし、営業担当者は輪をかけてド素人です。そんな連中が、限られた情報を手元において、まだ影も形もない本の商業的価値について議論をする。こうして文字にすると、コメディのような話にも聞こえます。やっている本人は、実際には私も含めて大まじめなんです。さすがにコメディじゃ自分自身にとって哀れにすぎるとすれば、少なくともメルヘンチックに聞こえてしまう部分はあります。たぶん、本質的に本の製作というのはメルヘンな部分を含んでいるもののようです。そうじゃないと、とてもじゃないが、アホらしくてやってられない部分もありますし、出版が著者を含む供給者と消費者が心のどこかでこのメルヘンを尊重しているからこそ存在している産業であることは間違いないと思います。

話を『つながる脳』に戻します。企画の時点で営業が嫌がっていたのは、ひとつには著者の日本語がかたいという点でした。私も現物をみせてもらいましたけれど、著者の著書や論文を拝見すると、その表現は非常に格調の高いけれど、やさしくはない。ある種の評論や論文で読むことができる類の日本語で、これはわたくしの個人的な好みには叶うけれど、読みやすいとは言えない。営業だって、平均的な趣味の読書のために本を選ぶ消費者だって、敬遠する難しい本になるんじゃないかと思ってしまうのは仕方のないところでした。

そんなことを覚えていましたので、この本ができあがってきて手に取ったときには「へえ」と思ってしまいました。拍子抜けをしたとまでは言いませんけれど、あまりにこなれた、話し言葉のような日本語に意外の感を抱いたのでした。なんといっても、この本自体が「です・ます」調です。ものすごく読みにくい本ができてくるものだと身構えていた私には意表をつく本だったのです。

意表をつかれたのはそれだけではありませんでした。意表グサッの二つ目は、この本が“おもしろい”本だったことです。正直いって、私は素人が読んでおもしろい本ができてくるとは思っていませんでした。一流の研究者が、ご自身の研究の最前線について語る本だと聞いていた私は、当然、この分野の研究者や学生が読むための本になるのだと思っていたのです。

まあ、それはそのとおりではあります。基本的にこの本を手に取る読者は研究者か、研究者の卵・予備軍といった人たちではないかとは思うのです。内容はあくまで著者が携わる脳科学の最前線の研究にまつわる話なのですから。でも、文体は平易、書かれているトピックは素人でも理解できるし、「えっ、そうなんだ」と思わず身を乗り出すような話があちこちに出てきます。「こりゃあ、十分に一般読者が読んでおもしろい本、ためになる本じゃないか」と、活字から目を上げながら私はうなってしまいました。

もう一つ意表をつかれたのは、文章に表れる著者の人となりでした。そもそも研究者の研究書ができあがってくると思っていたところに一般人が読んでも読みやすくおもしろい本が現れただけでもおどろきでしたが、この本が研究について語りながら、著者自身を語る本になっている点、それも色気もなにもない事実の記述でもなければ、自慢話でもない、客観的で、ときには自身に批判的であったり、懐疑的であったりする率直な記述が、本書を一般読者にとって実に魅力的な読み物にしている事実に目を見開かされたのでした。こういう記述ができる人にはいちど会ってみたい。そんな風に自然と思わされる著者の人となりが、肩の力を抜いて表現されている本でもあるのです。

本書で紹介されている印象的な実験の話については、機会をあらためてぜひ紹介させていただきたいのですが、長くなってしまったので今日はこの辺りで。本の中身に具体的に触れない本の紹介なんて初めてですが、脳の専門家やこの分野に関心のある学生さんといった人ではない、ノンフィクション好きの読者の手に届いてほしい一冊だと思ったのでした。2,200円という価格からして、なかなか難しい願いではあるのですけれど。

この本の帯に「とてつもない本が誕生した」という推薦文を書いてくれた茂木健一郎さんが、『クオリア日記』でも、なんと「必読」という言葉で紹介をしてくれていましたが、読んでみるとその意味がよく分かる気がします。たぶんお世辞や単なる商売文句ではないだろうなと思わされます。そんな本です。


つながる脳

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